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5.3.9 被告人の認識 被告人自身の本件当時におけるHIV抗体陽性の意味の認識についてみると,本件の捜査段階での供述は,「ギャロ博士の4点論文により,HTLV−Vがレトロウイルスであること,T4細胞親和性・細胞傷害性を有することなどは分かったし,抗体陽性が現感染を示すことも分かっていたが,生涯にわたる持続感染性を有することは知らなかったため,そのようなデータがエイズの極めて高い発症率を示唆するものであることまでは分からず,生涯発症率は漠然と10%程度と考えていた。」などというものであった。これに対し,本件公判においては,被告人は,「抗体陽性の意味については,免疫学的に,陽性者が感染,発症のリスクを負っているか否かについては,いろいろと異なった解釈ができるが,この時点でははっきりと分かることではなかった。」旨を陳述したが,それ以上に詳細な供述は得られていない状況にある。 被告人が発表していた著書や論文類の記載等に照らすと,昭和61年当時においては,被告人が,(1)HIVでは抗原と抗体が同時に血中で共存する(抗体陽性の第1の意味に関連),(2)HIV抗体の力は弱く,その働きも遅い(抗体陽性の第3の意味に関連),(3)HIV抗体陽性者からエイズが発病する率はおおむね10%程度である(抗体陽性の第4の意味に関連)などという認識を有していたことが認められるが,本件当時までに執筆されたとみられる論文類においては,これらに相当する記述が存在しない。抗体陽性と感染との関係については,本件投与行為ころまでに,被告人が,HIV抗体陽性者はウイルスに感染している者であるという基本的認識を抱いていたことは認められる。しかし,だからといって,そのことから直ちに,従来の感染症の常識とは大きく異なるHIV感染症の性質を,被告人が本件投与行為ころまでに認識していたはずであるとみることはできない。このことは,内外の研究者の当時の認識に照らせば,一般論としてもそのように考えられるが,被告人自身による著書等の記載によれば,被告人の認識も,こうしたHIVの特殊な性質を本件当時においては認識していなかったものとみるのが自然である。 本件当時における被告人の非加熱製剤投与によるHIV感染・エイズ発症・死亡の結果予見可能性の前提となる情報には,ギャロ検査結果等のHIV抗体検査の結果や,帝京大1号・2号症例の存在など,被告人ら帝京大学血液研究室グループが,他の医療施設の血友病専門医に先駆けて接した情報があった。しかし,抗体検査結果については,抗体陽性の意味の認識の点とともに,その検査自体の信頼性という問題がある。昭和59年後半ころ,帝京大学病院の血友病患者のHIV抗体検査は,ギャロ検査のほか2つの検査が行われていたが,これらの検査結果は,その多くが一致していたとはいえるものの,ある程度の不一致があったことが認められ,こうした不一致は,当時の抗体検査が開発途上にあったことによるものであると考えられる。したがって,この検査結果を,その後の検査手法が確立し,臨床レベルで広く行われるようになった時点での抗体検査結果と全く同様のものとして考慮することは相当でないと考えられる。 また,帝京大1号・2号症例についても,現時点の知見では,この2名の患者がエイズを発症して死亡したと認定できるとしても,当時においても現在と同様にそのような事実を認識し得たということに直ちになるわけではない。帝京大1号症例は,昭和58年度のエイズ研究班において,班長であった被告人の強い主張にもかかわらず,エイズ認定がされなかった。被告人は,帝京大1号・2号症例について,これらがエイズであると考えていたものと認められるが,そもそも,ある医師が一定の考えを得たからといって,それが医学界一般に受け入れられる前に,あるいは医学界の反応がむしろ否定的である間に,自らはその考えに基づいて行動すべきであるとし,結果予見可能性の前提事実として考慮すべきか否かは,一つの問題である。この場合,結果的にその考えが誤りであったとすれば,それに基づいた行動から生じた不都合な結果について,かえって過失責任を追及されることすら考えられる。したがって,そのような場合には,まずは自身の見解の正しさについて,医学界のコンセンサスを得ようとするのが,通常の医師のとる行動様式ではないかと考えられる。本件についても,ギャロ博士らに対する抗体検査の依頼は,帝京大1号症例がエイズ研究班でエイズと認定されなかったという経緯を受けて,被告人が改めて自身の見解の正しさの根拠を得て医学界に対しそれを認めさせることを主な目的の一つとしていたことは,確かであるように思われる。帝京大1号・2号症例は,結局,本件第一投与行為の後である昭和60年5月30日のAIDS調査検討委員会に至って,正式にエイズと認定されたものであるが,そこに至るまでに紆余曲折があったことには留意する必要があるというべきである。 ところで,被告人の検察官調書には,ギャロ検査の結果,感染している患者が23名おり,そのうち帝京大1号・2号症例の2名がエイズを発症したことから,本件当時ころの時点ではエイズの生涯発症率は漠然と10%程度であると考えていた旨の供述が録取されている。しかし,ここで被告人が供述している推論は,帝京大1号・2号症例がエイズであったことを前提としてもなお,合理性に乏しいものである。 なぜなら,第1に,このギャロ検査では,帝京大学病院第一内科の約80名の通院血友病患者のうち,2名がエイズを発症し,その他の者はエイズを発症していないという認識のもとで,エイズの2症例とその他の症例の検体を検査対象としたのであるから,エイズ患者の抗体陽性者中に占める割合は,その2症例以外の血友病患者の検体を何本送付するかによって,全く異なってくるものであることが明らかであり,現実のギャロ検査における「エイズ患者/抗体陽性者」が2/23という10%に近い数値であったのは,この送付の時点で同内科に残っていた上記2症例以外の検体が,たまたま実際に送付された46本であったことによる,偶然の所産であったと評価せざるを得ないものである(仮に上記の血友病患者約80名全員の検体が送付されたとすれば,抗体陽性者は23名よりも増えることとなり,その結果として,「エイズ患者/抗体陽性者」の値が更に小さくなったであろうことは,容易に想定されるところである。)。 第2に,帝京大学病院の限られたデータからHIV抗体陽性者中のエイズ発症率を推測すること自体にも本質的な限界がある。「例えば,仮に昭和59年末に東京医大病院での患者の調査をしたとすれば,HIV抗体陽性者中のエイズ患者はゼロであったはずであるが,このことから,一般に抗体陽性者の発症率はゼロであるといえるはずがない。これと同じ意味で,帝京大学病院のエイズ発症の数を抗体陽性者の数で除した数字がエイズ発症率であるということも誤りである。」という弁護人の主張は,血友病患者の治療について,帝京大学病院が東京医大病院や我が国のその他の医療施設と同様の治療方針を採用していたことにかんがみれば,首肯できるものである。さらに,我が国よりも以前の時期から,我が国よりも大量の非加熱製剤が投与されてきた米国は,血友病患者からのエイズ発症の数についても我が国より大きく先行していたもので,被告人もそのように認識していたことが明らかであるが,その米国のデータを見ても,第4回血友病シンポジウムにおけるエバット博士の報告によれば,HIV抗体陽性者中のエイズ患者の割合は,なお1%以下であったと推定される。 したがって,このような状況のもとで,帝京大学病院におけるわずか23名というHIV抗体陽性者中のエイズ患者2名という割合から「エイズの生涯発症率を10%程度と推測していた」という被告人の供述は,自らに不利益な事実を任意に供述したものであることを考えても,余りに不自然であり,被告人が本件当時において真実そのように考えていたというのではなく,その後HIV感染者からのエイズ発症率を10%前後とする文献に接するなどし,それが23名中2名にエイズの発症をみたという当時の帝京大学病院第一内科のデータと結び付いて,自らの記憶を再構成するに至ったのではないかという疑問を禁じ得ないところである。
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