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薬害エイズ 阿部元帝京大副学長判決要旨毎日の視点へ毎日の視点
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5.3.3.2 シヌシ博士の見解
 シヌシ博士は,昭和50年代前半からレトロウイルスの研究を始め,昭和57年末から昭和58年にかけてエイズ原因ウイルスの研究に取り組むようになり,モンタニエ博士らの研究グループの一員として,後にHIVと呼ばれることになる新しいウイルスの分離を世界で初めて報告した「サイエンス」誌昭和58年5月20日号論文(この項において「昭和58年5月のサイエンス論文」という。)の筆頭著者となり,その後も同ウイルスの研究を続け,現在はパスツール研究所レトロウイルス研究室教授の立場にあるウイルス学者である。
 シヌシ博士が別件刑事事件(被告人松村明仁に対する業務上過失致死被告事件)においてした証言の調書は,本件においても取調べ済みであるが,シヌシ博士の証言は,そのレトロウイルスに関する学識経験に加え,我が国における非加熱製剤による血友病患者らの大量ウイルス感染の問題に関して,法律的にも社会的・道義的にも責任を追及されることが考えられないというその中立的立場や,HIV感染の件に非常に深くかかわっていたので,当時の状況を明確に説明することが自分の義務であると考えたというその証言の動機に照らし,また,内容自体も当時の文献における記載との基本的な矛盾が見られないことなどに照らし,信用性が高いものであると考えられる。シヌシ博士の証言の要旨は,次のとおりであった。

5.3.3.2.1 エイズの原因に関する知見の浸透
 HIV(LAV)がエイズの原因ウイルスであるという知見は,昭和58年5月のサイエンス論文によって直ちに世界の医学者の間で広く認められるに至ったわけではない。実際,この論文はエイズ関連症状を持つ1名の患者からこのウイルスが分離されたというもので,この報告のみでは,このウイルスとエイズの原因とを関連づけるには十分でなく,更なる調査が必要であった。LAVがエイズの原因ウイルスであると世界の医学者の間で認められ始めたのは,ギャロ博士らのグループが昭和59年5月に同様の観察を確認して以来であり,それが広く世界で認められるようになったのは,昭和59年の1年間を通じて徐々に起こっていったプロセスであると思う。
 LAV/HTLV−Vが分離されてから後にも,HTLV−Tがエイズに関連すると考えていた学者がいた。その時期には,科学者や医師の間で,まだ混乱が存在していた。ギャロ博士らのグループも,まだその時期は,HTLV−Vは,HTLV科に属するという推測をしていた。したがって,科学者の間では,HTLVという名前で混乱が生じていた。昭和60年の間にこの混乱は収まり始めていたと思うが,昭和61年の段階でも,臨床医の中にはなお混乱している者がいた。
5.3.3.2.2 HIVのウイルス学的な性質について
 昭和58年5月のサイエンス論文でLAVをレトロウイルスに分類した。当時,レトロウイルスとは,ウイルスの遺伝子がRNAによってできていることと,逆転写酵素活性を持つことにより特徴づけられるという定義が,世界の医学者たちの間で10年来,既に知られていた。
 LAVが試験管内及びヒトの体内でT4細胞に親和性を有するというデータは,昭和59年に「サイエンス」誌に発表した。LAVが試験管内で細胞変性性を持つことについては,そのことを示唆するウイルス産生細胞が死滅している現象を昭和58年5月のサイエンス論文で報告しており,もちろん昭和59年末ころには認識していた。しかし,LAVがヒトの体内で細胞変性性を持つかどうかというのは非常に複雑な問題であり,昭和59年末ころそのような認識はなかったし,今日ですら,その点はなお明確になったといえる状況ではない。LAVがヒトの体内で感染細胞を破壊するかについて,昭和59年末ころ言えたことは,LAVに対する抗体を有する個人においてT4細胞の消失が認められたこと,感染が起こって,その結果,T4細胞が消失しているということであり,それが果たして直接的又は間接的にLAVが体内で作用した結果であるのかは不明であった。
 LAVとレンチウイルスとの関係については,昭和59年末には,LAVの構造及びその抗原に関して,レンチウイルスであるウマ伝染性貧血ウイルスに大変強い類似性を示唆しているデータを有しており,さらに,LAVがレンチウイルス科に属することを確認する一部の遺伝子に関する情報も有していた。LAVがレンチウイルスであるという分類が最終的に決定したのは,昭和60年1月から3月までの間にLAVのゲノムの配列がすべて決定されたときであった。

5.3.3.2.3 HIV抗体陽性の第1ないし第3の意味について
 あるウイルスがレトロウイルスに分類されたからといって,そのウイルスが持続感染を起こすとは限らない。昭和59年末当時,私の個人的な見解としては,LAVがヒトに持続感染するかもしれないと考えていたが,これは飽くまで仮説の域を出ず,実証が必要であり,特に抗体陽性の個人を長期に追跡調査したデータが必要だった。そのころは,LAVがヒトの体内で持続感染するという事実は実際に確認されてはおらず,むしろ試験管内で見た現象をもとに考えると,持続感染とは言えなかった。そのころ持続感染説の根拠になっていたのは,限られた数の抗体陽性者がウイルスと抗体の両方を持っていたという事実であり,この観察から,その抗体が防御効果を持たないという仮説も立てられた。しかし,そのころ存在したのは限定された数の個人に関する初期的な情報であり,抗体だけではウイルスを排除するのにこれらの個人において十分ではなかったというだけの情報であったので,この仮説の確証を得るためには,もっと多数の被験者の,長期に観察したデータが必要だった。
 昭和59年末ころ,LAV/HTLV−V抗体がエイズに対する防御力を有しているという仮説を持つ科学者もおり,当時はその仮説を証明するデータは存在していなかったが,その可能性も排除することはできなかった。抗体が防御力を持っているものの,それだけではウイルスを排除するのには十分でないので,その抗体とウイルスが共存することもあるという例は,あらゆるウイルス感染においてあり得ることである。昭和60年には,ギャロ博士らのグループによって,試験管内でこの抗体が防御活性を持つという最初の論文が発表された。この論文は,HTLV−Vの感染においてビスナウイルスと同じ状態が認められるかもしれないと推測したものだが,当時,その証拠は全くなく,あくまでも仮説にすぎなかった。実際に抗体に対して耐性を持つウイルスが存在するという報告は,昭和61年のグロフ博士らの「ジャーナル・オブ・イムノロジー」誌の論文が最初であった。しかし,現在ですら,抗体がHIVに対して持つ防御的な役割については明確と言える状態から程遠い。
 前記5.3.3.1の昭和59年11月の高松宮妃シンポジウムにおけるモンタニエ博士の発表における「ウイルス感染がLAVに感染した供血者由来の抗血友病製剤を介して起こった」という記述は,当時の我々のグループの考えであった。しかし,ここで報告しているデータを我々が示したとき,フランスの血液銀行関係者など一部の者は,血友病患者は抗体を持っていてもウイルス自体は持っていないという可能性を除外することはできないと主張した。学者の間でも,抗体を持っているということはウイルスを持っていることであるという考えと,抗体が存在するということは抗体がウイルスを排除してしまったのだという考えに意見が分かれていた。
 モンタニエ博士の前記5.3.3.1の著書「エイズウイルスと人間の未来」の記述について,異論はない。ただし,ここで用いられている「健康なキャリア」という言葉については,当時,その定義は明確でなかった。第1のグループは,この言葉をウイルスを保有しているが発症していない者であると理解していたが,第2のグループは,これを単に抗体を有しているのみであると理解していた。

5.3.3.2.4 HIV抗体陽性の第4の意味について
 昭和59年末ころ,LAV抗体陽性者におけるエイズ発症率を正確に見積もることは非常に難しい状態であり,抗体陽性者が最終的に完全なエイズを発症するであろうと確実に予測することは不可能であった。科学者たちの意見は2つに分かれており,私を含む何人かの科学者たちは,LAV抗体を持っている人々のうち,大部分の人がいつの日か発症するかもしれないと考えていたが,別の考え方の科学者たちは,抗体が存在することは,発症に対してむしろ防御的であることを示唆しているという仮説を立てていた。当時は,男性同性愛者の抗体陽性者のコホートから得られた幾つかの情報のみがあったが,その情報では,疾病の発症率は,見掛け上は低いことが示されていた。当時の推定では10%以下であったと思う。しかし,その後,同じコホートの長期のフォローアップの結果や,また他のコホートの長期のフォローアップの結果として,疾病の発症率は過小評価されていたことが分かった。
 なお,ビスナ・マエディウイルスに感染したヒツジの脳炎の発症率からLAV抗体陽性者の発症率を予測するなどということは,科学的に正しいことではない。
 LAV抗体陽性という所見だけでエイズの発症率や予後を正確に推定することが可能になり始めたのは1980年代の末である。個人的見解としては,昭和60年4月中旬にアトランタで開催されたエイズ国際会議において初めて,出席していた科学者や臨床家たちが,疾病の発症率が非常に高いかもしれない,その前に考えていたより高いかもしれないということを理解したのだと思う。西ヨーロッパの臨床医の多くが,LAV抗体陽性がエイズ感染を意味し,かつ症状の重篤性や予後を示す指標として重要視するようになったのは,この学会のときであったと思う。
 昭和59年11月ころの時点では,エイズの潜伏期間については推定することができないので,考えていなかった。そのころ私は,ウイルスを持った個人は,いつか分からないが,将来発症するであろうと考えていたが,それがエイズを発症するのか,又は別の疾患を発症するのか,何を発症するのかは分からなかった。それは主に私の動物のレトロウイルスに関する知識に基づいていたが,証拠があったわけではない。あのころ私はこれらの個人が果たしてエイズに合併する日和見感染を発症するか,又は,レトロウイルスの感染によく見られた白血病とか又はそれ以外の癌などを発症するか分からなかった。また,動物のレンチウイルスでは脳炎が起こることが分かっていたので,脳炎かもしれず,それも分からなかった。
 LAVがレンチウイルスであるという前提で考えた場合には,発症率10%というのは余りに低く,発症率はもっとずっと高いと我々は考えていた。しかし,そのような考えを論文にすることは不可能だった。なぜなら情報がなく,確実にそのように言うことはできなかったし,差別を避けるために慎重になる必要があったからである。あるウイルスが遺伝子の構造等から既知のレンチウイルスに非常に近いとわかったとしても,そのウイルスが引き起こす疾病を予測することは,動物における直接の証拠,あるいはヒトにおける間接的な情報の証拠がない限り,結論づけることはできない。
 なお,現在の知見では,HIV抗体陽性者で,最終的にエイズを発症しない人もいる。非常に長期的な過程を経て進行する疾患を誘発するのは感染者の80%において事実であるが,今日,約10%が長期生存者と考えられている。

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