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7.3 木下医師のいわゆる「進言」について 木下医師は,昭和59年11月ころ,被告人に対して,非加熱製剤をクリオ製剤に切り替えるべきであるという意見を述べたことがあると供述した。 しかし,木下医師自身の供述によっても,この「進言」は,いつものように事務的な話をしていたところ,たまたまエバット博士の発表が話題になったので,「クリオにしたらどんなもんですか。」と言ってみたものの,被告人が「クリオは使いにくい。クリオでは自己注射はできないよ。」と答えたので,すぐにその話はやめて事務的な話に戻り,その後は二度とそうしたことを述べたことはなかったというものである。木下医師が患者の生命に対する重大な危険性を認識してこうした発言をしたのであれば,いかに被告人が非加熱製剤の継続に強くこだわっていたとしても,自ら非加熱製剤の注射を行う医師として,また血友病治療に当たる若手医師を直接に指導する立場の医師として,そのような方針にたやすく従うことはできなかったであろうと思われるが,木下医師自身の供述する「進言」の状況は,こうした切羽詰まった「進言」という見方をするには余りにも遠いものである。しかも,本件当時の木下医師の言動や状況事実からは,同医師が,自ら行いたいと考える治療と被告人の治療方針との乖離に悩んでいた様子もうかがわれない。そもそも,この「進言」の前提となるエイズの危険性に関する認識について,木下医師の供述に多くの疑問点があることは,前記5.3.8のとおりである。 また,血友病の治療方針の根幹に関わる部分はともかく,日常の診療においては,本件当時,木下医師が現場の責任者であったという弁護人の主張は否定できない。したがって,本件において被告人に刑法上の過失責任が問われるのであれば,被告人と同じ情報に接し,より実際の治療行為に近い立場にあった木下医師に対する刑事責任の追及もまた,十分に想定されるものであったと考えられる。こうした木下医師の立場に照らせば,同医師が,自身に対する責任の追及を緩和するため安易に供述したのではないかという疑いは,ここでも払拭し得ない。しかも,昭和62年3月に被告人が定年退職し,木下医師が血液研究室の責任者の立場を引き継いだ後,帝京大学病院を受診していた血友病患者から次々とエイズ発症者が生まれ,木下医師が大きな心理的ストレスにさらされたことや,本件当時の治療について深い後悔の念にさいなまれたことは容易に推認できるが,このような場合に,一種の心理的な合理化機制により,木下医師の記憶が一定の方向に潤色されるということも,いかにもありそうなことであると考えられる。 こうした諸点にかんがみると,木下医師の上記程度の供述をもって,同医師が本件当時,非加熱製剤投与の全面的あるいは原則的中止を真剣に考慮していたとみるには疑問がある。また,仮に被告人と木下医師との間での間で治療方針の見直しに関する真摯な話合いがされていたとしても,クリオ製剤の供給可能性その他の現実的な困難などに照らせば,検察官の主張するような非加熱製剤の原則的中止という治療方針が採用されたとは考え難いといわざるを得ない。 7.4 他の医療施設における治療方針との関係 帝京大1号・2号症例,ギャロ検査結果,T4/T8比検査結果などの帝京大学病院で得られた情報は,遅くとも昭和60年3月ないし4月には,他の血友病専門医が知り得る状況になっていた。のみならず,同年3月には栗村医師による全国各地の血友病患者のLAV抗体検査結果が新聞報道され,他の研究者らの抗体検査も開始されて,帝京大学病院以外の医療施設においても,自らの施設の患者の抗体検査結果を把握しつつあった。そして,同年5月には,AIDS調査検討委員会によって,帝京大1号・2号症例などの3例がエイズと認定され,また,このころから,アトランタ会議に出席した我が国のウイルス学者らによって,邦語文献でもHIVの特殊な性質が指摘されるようになり,同年7月までには,我が国においてエイズ認定された血友病患者は5例に増加していた。 したがって,昭和59年11月ころにおいては,被告人と他の施設の血友病専門医との間には相当の情報格差があったといえるが,その後は,次第にこの情報格差は解消され,例えば,昭和60年6月ころの時点において通常の血友病専門医が有していた情報は,客観的に見れば,昭和59年11月ころに被告人が有していた情報に比べても,より広範で充実したものであったように思われる。それにもかかわらず,血友病A患者の通常の出血に対して非加熱第8因子製剤を投与していた血友病専門医が,こうした情報を得た結果として,昭和60年8月ころに加熱第8因子製剤が供給されるに至る前に,外国由来の非加熱第8因子製剤の使用を中止したという例はほとんど見当たらない。このような当時の実情に照らせば,帝京大学病院において,外国由来の非加熱製剤の投与を原則中止するという判断をしなかったことが刑法上の過失の要件たる注意義務違反に当たるとみることは,いかにも無理があるように思われる。 このことは,血友病B患者に対する治療方針についてみると一層明瞭である。加熱第\因子製剤については,最初の製剤が承認されたのは昭和60年12月であった。そして,同年後半には,各医療施設の血友病患者のHIV抗体検査も着実に進められ,抗体陽性血清からのHIVの分離もされるようになって,エイズに関する理解は更に浸透していたと認められるのに,血友病B患者の「生命に対する切迫した危険のない出血」について,加熱第\因子製剤が供給されるに至るまで,外国由来の非加熱第\因子製剤の投与を中止した血友病専門医が存在したという事実は,本件証拠上認められない。 要するに,本件訴訟において検察官が主張する治療方針は,本件当時において,現実にそのような方針への転換が提唱されていたという裏付けを伴わないものであり,検察官が,後日になって改めて収集・整理した情報から本件当時を振り返って,本件投与行為の刑事責任を追及するために自ら構成したものであるという性格を免れ難い。このような検察官の主張は,不確実な情報をもとに時々刻々・臨機応変の判断をし,実際に行動していかなければならない場合の困難を適切に顧慮していないものといわざるを得ない。 7.5 「被告人による医療水準の形成」論について 本件において,弁護人は,医師の治療行為については当時の医療水準がいわばその時の法律に当たるのであるから,医師はこれに従って医療を行うべきであり,たとえ今日からみればその医療水準が誤っていたとしても,これに従った医療行為は適法である,本件当時の血友病治療の医療水準は,非加熱製剤の使用を継続するべきであるというものであったから,血友病専門医の一人である被告人がこの医療水準に従って行っていた医療行為の過失責任を問うことができないことは明白であるなどと主張していた。これに対し,検察官は,(1)我が国における血友病治療の医療水準は被告人を中心として形成されてきたものである,(2)血友病患者へのエイズ伝播防止策の領域において被告人がむしろ自己の大きな影響力を利用して本来あるべき医療水準の形成を阻害してきたなどと主張した。 既に述べてきたとおり,当裁判所は,本件において刑事責任が認められるのは,通常の血友病専門医が本件当時の被告人の立場に置かれれば,およそそのような判断はしないはずであるのに,利益に比して危険の大きい医療行為を選択してしまったような場合であると考える。したがって,弁護人の上記主張が,本件当時の我が国の血友病専門医の大多数が非加熱製剤の投与を継続していたことから直ちに,被告人の本件行為が医療水準に沿ったものであるとして過失が否定されるという趣旨であるとすれば,これを採用することはできない。しかしながら,他方において,被告人の過失の有無を判断する注意義務の基準が通常の血友病専門医であることは,動かし難いものと考える。したがって,検察官の主張が,被告人の法律上の注意義務を通常の血友病専門医のそれとは異なるとするものであれば,やはりこれを採用することはできない。 もっとも,本件当時の被告人が置かれていた状況のうち,加熱第8因子製剤が未だ承認されておらず,クリオ製剤に全面的に転換することも原料血漿の面から困難があったなどの点については,昭和58年度の我が国の政策決定によってもたらされたものであり,当時のエイズ研究班の班長であった被告人の言動がそうした政策決定に影響を及ぼしたものであるという指摘は,考えられないものではない。しかし,本件公訴事実において,被告人の結果予見可能性の前提として摘示されているのは昭和59年5月ころのギャロ博士の「HIV同定」以降の事実のみであるから,被告人の過失の成否は,やはりそれが問題とされる時点において,刑法上の業務上過失に当たる注意義務違反行為が存したと評価されるかどうかにかかるものであるといわなければならない。 本件で結果予見可能性が問題とされている時点以前の時期における被告人の言動を非難する検察官の主張は,本件公訴事実との関係が明らかでないというほかはない。したがって,これらに対する判断は不要であるとも考えられるが,その中には,本件の背景として社会的な耳目を集め,本件審理においても相当の証拠調べが行われたものがあることも顕著な事実であるから,こうした経過にかんがみ,若干の点について付言しておくこととする。 昭和58年度のエイズ研究班における討議の結果,我が国においては,クリオ製剤の適用範囲が極めて限定的なものとされ,また,加熱製剤が治験を行った上で導入されることとなったことは,今日の視点で振り返れば,もとより遺憾なことであった。しかし,この方針は,被告人が関与していない血液製剤小委員会の第1回会合で各委員のコンセンサスに基づき実質的な方向付けがされ,その後の中間報告から最終報告に至るまで,同小委員会の見解は一貫していたと認められる。この間,被告人は,中間報告の後,同小委員会委員長であった風間医師をこの答申に関して激しく叱責するなどのことがあったが,本件証拠関係に照らせば,このことによって同小委員会の方針が変更されることはなかったことが明らかであり,この叱責がなければ同小委員会が最終報告をクリオ製剤適用拡大の方向に変更していたであろうと認めることもできない。 また,加熱製剤の治験の経過については,被告人が第1相試験の実施にこだわったことや治験統括医をいったん辞任したことなどがなければ,加熱第8因子製剤の臨床試験の開始が早まった可能性があることは否定できないが,その当時,新薬の承認までには臨床試験を終えて申請をしてから1年半程度を要すると考えられていたことなどにも照らすと,こうした被告人の昭和59年初めころまでの言動が,現実の我が国における加熱第8因子製剤の供給開始時期にどのような影響があったかを正確に推認することは不可能であるというほかない。 そして,こうした昭和58年度当時の事実関係を見るには,当時におけるエイズの危険性に関する認識や,加熱製剤の有効性・安全性に関する認識を踏まえてこれを評価することが必要である。関係証拠に照らせば,我が国におけるエイズの危険性認識が,昭和58年度のエイズ研究班においてエイズ患者が認定されなかったことなどから,いったん沈静化したことは否定できないところ,このエイズ患者の認定に至らなかった点は被告人の期待に反するものであったことも事実である。冒頭にも述べたとおり,エイズと血液製剤をめぐる問題は,複雑で多様な事実関係を含むものであり,流動的で混沌とした状況の下において,多数の者がそれぞれの時期に種々の方向性をもった行動をとっていたことに留意されなければならない。 7.6 刑事責任の存否 以上に検討してきたところによれば,通常の血友病専門医が本件当時の被告人の立場に置かれていた場合に,本件で問題とされている出血に対して非加熱製剤の投与を控えたであろうと認めることには,合理的な疑いが残るといわざるを得ない。したがって,被告人に公訴事実記載のような業務上過失致死罪の刑事責任があったものとは認められない。
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