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5.3.2 ギャロ博士らのグループの見解 本件公訴事実において「HIVをエイズの病原として同定した」とされているギャロ博士らのグループの本件当時ころの「抗体陽性の意味」に関する見解あるいは認識を示すものとして,検察官及び弁護人が本件訴訟に提出した論文等については,その評価あるいは位置付けに当事者間で大きな差異がみられる。この点に関する当裁判所の評価は,以下のとおりである。 5.3.2.1 「ランセット」誌昭和59年9月29日号の論文 「ランセット」誌昭和59年9月29日号には,ゴダート博士(筆頭著者),ブラットナー博士らとギャロ博士の共著論文「男性同性愛者におけるレトロウイルス(HTLV−V)に対する抗体と免疫不全状態の決定要因」(以下「昭和59年9月のランセット論文」という。)が掲載されているところ,その「要旨」部分には,「HTLV−Vに対する抗体が陽性であった人は,1年当たり6.9%の割合でエイズを発症し,さらに免疫不全の臨床症候(レッサーエイズ)の発生率は,1年当たり13.1%の割合であった。」旨の記載がある。 この論文は,検察官が論告要旨において,「抗体陽性者からのエイズ発症率が高率に上っていることを示すデータ」として指摘する文献のうち唯一の原著論文であり,発症率が高いと考えていた旨の証言として検察官が引用する5名の証人のうち3名が言及しているものであって,検察官の主張において,重要な位置付けを占めているものと解される。 しかしながら,この論文に関する検察官の意味付けや,それに沿うかのような証人の供述には,次のとおり,多くの疑問を指摘せざるを得ない。 (1) まず第1に指摘すべきことは,この論文の表題及び全体の記述を一読すれば明らかなとおり,この研究は,昭和57年6月の4日間にマンハッタンのある内科医院に来院した男性同性愛者の患者67名を観察対象として,2年間の追跡によってその間の抗体検査結果と免疫不全症状の発症状況等を調査し,どのような要素が発症に関与していると見られるかを検討したものであり,抗体陽性者からの発症率そのものを直接の検討対象とした研究ではない。ギャロ博士自身も,昭和59年11月に東京で開催された高松宮妃癌研究基金第15回国際シンポジウム(以下「高松宮妃シンポジウム」という。)での発表において,この論文を「HTLV−Vがエイズの原因であることを示す疫学的研究」として引用しながら,疾病の発症率について触れた箇所では引用していない。また,本件証拠関係においては,我が国の研究者が,この論文が発表された以降の時点において,HIV抗体陽性者又は感染者からのエイズ発症率について言及した論文や発言が多数提出されているが,この論文を明示的に引用したものは見当たらない。 (2) 検察官の指摘する「6.9%」という数字は,この研究において,昭和57年6月時点における血清のHTLV−V抗体検査で陽性であった35名に,その後の観察期間中に抗体陽性であることが判明しエイズを発症した1名を加えた36名を母数として,2年間にエイズを発症したと診断された5名を72人・年(36名×2年)で除したというものである。したがって,HTLV−V抗体陽性とエイズ発症の関係を考察する上で,このデータ自体に一定の意味があることはもとより当然ではあるが,だからといって,このデータを,「毎年平均6.9%のHTLV−V抗体陽性者がエイズを発症する」(検察官の冒頭陳述28頁。なお,論告要旨248頁参照)などと理解するのは,血友病患者等を含む抗体陽性者一般についてはもちろん,この観察対象となったグループ自体についても,無理な推論であるといわざるを得ない。そもそも,ウイルス感染症においては潜伏期があるのが常識であって,潜伏期が終わるまでは発症は見られず,また,発症がないまま潜伏期の最大期間を超えれば不顕性感染で終わったと見られるのが通常であるから,こうした一般のウイルス感染症の常識を前提とすれば,この研究において疾病を発症しなかった観察対象者が,今後も観察した2年間に見られたのと同様の割合で疾病を発症していくと予想すること自体がにわかに考え難いものである。 (3) そして,この論文の全体を通読すれば,むしろ著者らの考えが「毎年6.9%ずつ発症する」といったものではないことが読み取れるというべきである。なぜなら,この論文には,観察期間中にエイズ症状を発症しなかった対象者について,将来的に同様の割合でエイズを発症していくことを推測するような記述は全く存せず,逆に,論文の結論部分には,次のとおり述べられている。 「臨床的に正常な多くの者は,HTLV−V抗体と軽度のヘルパーT細胞減少を示していた。ヘルパーT細胞の低位は,感染の効果であり,これは,より重篤な疾患へ進展するか,あるいは,安定した不顕性感染のままの可能性がある。多分,起こっていることは,HTLV−Vがリンパ球標的細胞に半致死的障害を与え,この標的細胞損傷は,他のコファクターに依存して回復し,同じ状態に留まり,又は進行しているのであろう。例えば,HLA型DR5の男性同性愛者は,カポジ肉腫やリンパ節腫脹症に対する危険性が高く,このことは宿主側の要因が,HTLV−Vに対する曝露の結果に影響していることを示唆している。幾人かの個人においては,介入性感染,娯楽用薬物使用,同種異系の精子あるいは血液への曝露,その他の要因などの免疫学的なストレスの蓄積あるいは干渉が,さらに体内の平衡を崩し,臨床的進行を促進している可能性がある。臨床家,疫学者,実験室研究者の技術を集めて注意深く計画された分析研究が,HTLV−Vによって最初に引き起こされる免疫破壊に対する宿主反応に影響を及ぼす種々のコファクターやエイズの病態を明らかにするために必要であろう。」 すなわち,著者らの考えは,「他のコファクター」あるいは「宿主側の要因」が,エイズの発症に深く関与しており,疾病を発症した者と発症しなかった者との間にはこうした要素において差がある,臨床的に正常な多くの者については「安定した不顕性感染のまま」の可能性があるなどというものであったと認められる。 (4) したがって,この論文の発症率に関するデータは,2年間で13.9%(36名中5名)の抗体陽性者がエイズを発症したということに尽きるというべきであるが,この事実から,抗体陽性者一般におけるエイズ発症率を推測するにも,多くの障害がある。とりわけ,弁護人も指摘するように,対象となった男性同性愛者集団が,抗体陽性の男性同性愛者一般ではなく,医師を受診した患者集団であり,したがって,抗体陽性ではあっても健康に暮らしている人間が含まれていないと考えられることは重要であり,これらの対象者中に(エイズ関連症候群《ARC》やリンパ節腫大症候群《LAS》の範疇に入るかどうかは別論として)エイズの前駆症状を有していた者が抗体陽性の男性同性愛者一般より有意に多く含まれていた可能性は十分に考えられるところである。そのような対象集団の性格にかんがみれば,本研究の結果は,抗体陽性の男性同性愛者一般における発症の割合よりも高いのではないかと考えるのが,むしろ合理的な推論であるともいえる。 (5) 上記のデータが抗体陽性の血友病患者にそのまま当てはまると考えることには,さらに障害が加わる。同じウイルスであっても,被感染者がどのような集団に属するのかによって発症率が違うということは,一般的によく見られることだからである。そして,そもそも,現実の米国におけるHIV抗体陽性血友病患者のエイズ発症率の当時のデータは,この論文の「1年当たり6.9%」などというものとはかけ離れたものであったことが明らかであるように思われる。すなわち,この論文の発表後間もない時期に公刊された「MMWR」誌昭和59年10月26日号には,後記5.3.4.2のとおり,米国の血友病患者のHIV抗体陽性率が,濃縮第8因子製剤の投与を受けた者については74%,濃縮第\因子製剤の投与を受けた者については39%であったというデータが報告されており,同国の血友病A患者数及び血友病B患者数に照らすと,1万人近いHIV抗体陽性血友病患者が当時存在したものと推定される。その後の調査でも,昭和62年12月のCDCの報告によれば,米国の血友病患者推定1万5500人のうち,9465人のHIV感染が判明していたのであるが,米国における加熱製剤への切り替え状況やHIV抗体スクリーニングの実施等に照らせば,この数字は昭和59年秋ころの米国血友病患者のHIV感染者数とほぼ同じであろうと推定される。したがって,仮に「1年当たり6.9%」というエイズ発症率が米国血友病患者にもそのまま該当するのであれば,1年で700名近い血友病患者からのエイズ発症者が出なければならないことになるが,「MMWR」誌前同号は,血友病患者の累積エイズ発症数が52例(最も多い昭和59年でも10月14日現在で29例)であると報じていたものである。このことを逆から見れば,本論文の研究と同様の研究を米国血友病患者に対して行っていれば,1年当たりのエイズ発症率は「0.数%」であったということになろうと考えられる。すなわち,現実の血友病患者中のエイズ発症者数とHIV抗体陽性者の推定数に照らせば,この論文の「6.9%」という数字は,観察対象となった小集団の,男性同性愛者であり,かつ臨床症状を有し病院に通院する者であるという特殊性が強く反映したものであり,血友病患者については,ほとんど参考にならないのではないかと考えることがむしろ自然である。そして,このランセット論文とほぼ共通の著者らによる後記5.3.2.5の「JAMA」論文における研究結果は,「3年以上の観察期間」において,エイズのみならず「エイズ様疾病」をも併せた累積発症率が2%から4%台であったとしているのであるから,まさしくそのような考えに沿う結果であったように思われる。 また,日本人の血友病患者に当てはまるかどうかについては,以上に加えて,エイズ発症に人種差があるのではないかという,本件当時現実に存在した仮説との関係が加わってくるが,この点は後記5.3.10で触れる。 (6) その他,本論文には,例えば,抗体陽性と判断する基準について,酵素免疫吸着法による検体の吸光度の対照群との比率を3.0以上とした従前の論文の基準を変更して,5.0以上とする厳しい基準を採用した結果,抗体陽性とされなかった患者からも1名がエイズを発症し,2名がレッサーエイズを発症した(従前の基準であれば1名がレッサーエイズを発症した)という,抗体陽性と陰性との振り分け自体が自明なものではないことをうかがわせるデータや,33名の抗体陽性の男性を1年後に再検査したところ,2名については抗体が検出されず,2名とも良い健康状態のままであったという,いったん抗体陽性となっても再び抗体陰性となることがあるという推測の根拠ともなりそうなデータなども記載されている。こうした記載からは,このような前例のない世界最先端の研究を進めるに際しては,検査法や検査技術自体の開発・進展が密接に関連し,得られたデータの意味付けやその解釈の基準も自ら定めていかなければならないなど,特有の困難がつきまとうものであることをうかがうことができる。そのことは,同時に,この種の論文を読んで知識を得ようとする側においても,そのような困難に由来する不確実性が存するものとしてそのデータや解釈を受け取る必要があることを示しているというべきである(例えば,この論文の「33名の抗体陽性者を1年後に再検査したところ,2名については抗体が検出されなかった」というデータから,直ちに「抗体陽性者は毎年6%《2/33》ずつ抗体が陰転する」という結論を導くことが誤りであることは多言を要しないであろう。)。
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