薬害エイズ事件で業務上過失致死罪に問われた元帝京大学副学長安部英被告(84)に東京地裁は28日、無罪(求刑禁固3年)の判決を言い渡した。永井敏雄裁判長は「輸入非加熱血液製剤の投与で患者が死亡するという予見可能性は低く、元副学長だけに過失責任を認めることはできない」と述べた。被害者側はこの判決に強く反発、検察側は控訴する方針。一方、厚生労働省は血友病以外の患者1000人前後に汚染された非加熱製剤が投与され、肝炎に感染した可能性を指摘。全国計803の病院・診療所で汚染非加熱製剤を投与した可能性がある。
予想だにしなかった無罪判決に、傍聴席は一瞬「えっ」とどよめいた後、言葉を失った。1400人以上が感染、500人を超える命が失われた薬害エイズ事件の中心人物とされる安部元副学長の刑事責任を法廷は認めなかった。亡くなった息子の治療を元副学長に任せた母親は肩を震わせすすり泣き、判決をノートに記そうとしていた男性は、裁判長をにらみノートを傍聴席にたたきつけた。裁判官が退室する際には「裁判官」と怒鳴りつける傍聴人もいた。
無罪判決が言い渡された瞬間、裁判長に一礼した安部元副学長。裁判長が読み上げる判決理由に時々大きくうなずき、深呼吸をすることも。判決後「判決に満足している。今後も血友病治療に生涯をかけて続けていきたい。亡くなった患者さんは気の毒に思う」と話した。
判決にあたって永井裁判長は最大の争点だった死亡の予見可能性で「最先端の学問知識に接し、専門性が高かった世界の研究者の当時の見解でもエイズウイルス(HIV)の性質やHIV抗体検査の陽性の意味は不明な点が多かった」と判断。さらに「安部元副学長は非加熱製剤の危険性は認識していたが、高い確率で多くの患者をエイズ感染させることを予見できたとまではいえない」と述べ、過失責任を否定した。
≪怒りの川田さん≫「被告人は無罪」。その瞬間、元東京HIV訴訟の原告、川田龍平さん(25)は険しい視線を安部元副学長と裁判長に向け、母親で衆院議員の悦子さん(52)は持っていたノートを席に叩きつけ、裁判長をにらみつけた。傍聴席からは「えっ」という短い叫び声が起き、どよめきが広がった。閉廷後、悦子さんは「頭が真っ白になってメモを取れなかった。無罪が信じられなくて言葉が頭に入らなかった。怒りで体が震えている」と話した。
≪集会で批判続出≫薬害エイズの被害者や遺族らが28日夜、東京・霞が関の弁護士会館で報告集会を開き、約150人の参加者からは判決を批判する声が相次いだ。東京、大阪両HIV訴訟は1996年3月に和解したが、大阪訴訟の原告代表花井十伍さんは「これでは医療現場で医師が薬害を防止する役割を果たせない」とあいさつ。元厚相の菅直人民主党幹事長は「安部元副学長は、厚生省の決定にも影響力を行使した人物。最も大きな責任を負うべき人物の一人だ」と述べた。
数百人が肝炎感染か
エイズの次は肝炎、と非加熱製剤による薬害は広がるばかり。1996年に非加熱製剤によるエイズ感染検査で陰性と診断されたが、後にC型肝炎感染を知った人は「96年の時点で肝炎検査もしてくれれば、もっと早く治療に取り組めた」と悔しさと憤りの言葉をぶつけている。しかし、厚生労働省の担当者は「C型肝炎は、エイズ事件とわけが違う。当時、ウイルスの存在すら分かっておらず、国に落ち度はない」としている。
同省によると全国803の医療機関に非加熱製剤が納入された72年から88年までに入院した血友病以外の患者のうち、1000人前後が出血を抑えるために危険な製剤を投与され、数百人がC型やB型肝炎ウイルスに感染した恐れがあるとしている。感染した可能性のある患者は、新生児出血症(新生児メレナ、ビタミンK欠乏症)などの病気で「血が止まりにくい」との指摘を受けたり、大量に出血するような手術を受けた(出産時も含む)場合など。
国内の肝炎感染者は300万人以上ともいわれ、患者団体は「針を替えずに行われた予防接種など、肝炎感染は医療を通じて生じたことは明白」とし、感染の実態把握に向けた幅広い検査実施をこれまで求めていた。しかし同省は「費用がかかりすぎる」として、今回公費での検査対象を非加熱製剤投与の可能性がある1000人前後に絞った。
同省が急きょ肝炎対策に乗り出したのは昨年11月。静岡県で新生児治療に非加熱製剤を投与された患者(20)が、C型肝炎に感染していることが判明したことがきっかけだった。
◇C、B型肝炎 C型肝炎は、ウイルスが血液によって感染する病気で、慢性肝炎から肝硬変、肝がんへと進むことが少なくない。推定で感染者は200万人以上。血液製剤の投与や輸血、手術、注射などの医療行為のほか、麻薬や覚せい剤の注射による回し打ちなどでも感染する。感染者の大半は40代以上で、輸血時の検査が可能になった1990年代以降、新たな感染はほぼなくなった。B型肝炎は、ウイルスによる母子感染が中心だが、30代以上では医療行為による感染もある。感染者は150万人前後と推定され、慢性肝炎から肝硬変、肝がんと進む人もいるが、発病しない人が大半。