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5.3.5 アトランタ会議 昭和60年4月中旬に米国ジョージア州アトランタ市において,米国国立衛生研究所(NIH),CDC及び国連世界保健機関(WHO)の共同企画で開催された国際研究会議(アトランタ会議)では,エイズ及びHIVに関する当時の世界最先端の知見が集約して発表された。この会議で発表された情報は,後述のとおり,我が国の研究者の認識にも大きな影響を及ぼしたと認められる。 5.3.6 栗村医師の見解 栗村敬医師(本件当時鳥取大学医学部ウイルス学講座教授)は,我が国において先駆的にLAV抗体検査を始め,昭和59年11月ころ以降,その結果を厚生省の研究班会議等で報告していたという立場にあったウイルス学者である。 栗村医師は,検察官の請求にかかるギャロ博士らのグループが発表した論文及びモンタニエ博士らのグループが発表した論文は,高松宮妃シンポジウムのプロシーディング論文を除きすべてを当時読んでいたし,同シンポジウムには出席しなかったもののその抄録は読み,「MMWR」誌にはすべて目を通していたとし,また,一般の医師が目を通すことが考えにくいと思われる「薬事日報」紙の記事すらも当時読んでいたとして,これらの文献を読んだ当時の認識について,詳細に証言した。検察官の論告の「五 結果予見可能性」の「3 エイズ原因ウイルスの分離・同定とその性質の解明」及び「4 エイズに関する危険性情報の認識」に引用された英語文献のうち,栗村医師の証言に現われていないものは,高松宮妃シンポジウム及び第4回血友病シンポジウムのエバット博士の発表のプロシーディング以外には,HTLV−Vの分離以前である昭和58年6月の「ネイチャー」誌論説があるのみであり,したがって,上記証言が事実であるとすれば,同医師は検察官の主張する「危険性情報」に我が国で最も濃密に接していた研究者の一人ということになろう。 抗体陽性の第1及び第2の意味の認識に関する栗村医師の証言の要旨は,次のとおりであった。 「LAV抗体検査を始めた昭和59年10月後半ころの時点で既に,LAVとHTLV−Vは同じ性質を持った同じグループのウイルスであり,ヒトに持続感染すること,T4リンパ球に感染し,細胞傷害性を起こしてT4リンパ球を減少させること,形態学的にはレンチウイルスのグループであることなどが分かっていた。抗体陽性者が非常に高い確率でウイルスの現保有者であることは,その当時でも想定できたが,同年10月末から11月初めにかけて,日本人血友病患者の抗体陽性者の抗体価を測定したところ欧米の感染者と同じレベルであったこと及びレトロウイルスの属性から,日本人血友病患者の抗体陽性者も感染性ウイルスを保有しているキャリアであると判断した。最初の発表である昭和59年11月22日の京都大学ウイルス研究所で開かれた厚生省輸血後感染症研究班エイズ分科会(以下「京都会議」という。)以降,抗体検査の結果を発表した場では常に,LAV抗体陽性者はLAVのウイルス現保有者であると指摘していた。」 また,抗体陽性の第4の意味の認識に関する栗村医師の証言の要旨は,「エイズの発症者が次第に増えてきていること,HIVが持続感染していること,レンチウイルスであるビスナ・マエディは発症率が高いことなどから,昭和59年当時,HIV抗体陽性者のエイズ発症率は非常に高い可能性が強いと思っていた。日本人血友病患者も,当然,その当時報告されていた米国の(男性同性愛者の)HIV感染者と同様の運命をたどっていくと思っていた。」というものと理解される。 しかしながら,本件証拠関係に照らせば,栗村医師の上記証言部分は,採用することができない。その理由は,次に述べるとおりである。 第1に,栗村医師は,昭和59年11月22日の京都会議以降,昭和60年1月31日の輸血後感染症研究班診断基準小委員会,同年3月11,12日の日米医学協力プログラムの肝炎部会,同年4月3日の日本ウイルス学会のシンポジウムなど,抗体検査の結果を発表した場では常に,LAV抗体陽性者はLAVのウイルス現保有者であると指摘していたと供述するが,同学会の抄録にも,栗村医師が会議で交付した資料にも,京都会議に出席していた松田重三医師のメモにも,抗体陽性がウイルス現保有者であることを意味するような記載は全く存しない上,松田医師は,その証言において,検査結果の意味するところについては,当日は全く話題にならなかったと供述している。また,昭和60年5月以降のAIDS調査検討委員会の委員であった山田兼雄医師も,その証言において,栗村医師が同委員会で日本人血友病患者の抗体陽性率を報告した際には,栗村医師は,各施設における抗体陽性率を表にした紙を張り出して,しばらくこれを見てくださいと言って,それから紙を取り去って帰ったという記憶であると供述しており,抗体陽性はウイルス現保有者であるという説明を受けたなどとは述べていないばかりか,かえって同委員会では,山田医師自身から日本人ウイルス学者に対し,抗体があるのにウイルスがあるのは変ではないかという質問をしていたと供述している。 第2に,動物のレンチウイルスであるビスナ・マエディウイルスの発症率が高いことから発症率が高いと考えたという点については,関係証拠に照らし,十分な合理性のある推論であるとは考えられない。こうした動物のレンチウイルスから類推するという推論や,米国男性同性愛者の発症率から日本人血友病患者の発症率を類推するという推論は,ある意味で素朴な,誰もが容易に思い付きそうな類のものであるが,他方において,例えば成人T細胞白血病(ATL)については,HTLV−Tの母子感染では発症するものの,輸血や性行為による感染では発症しないという事実が存在するところ,これはウイルスの性質論から演繹できるものではなく,疫学的・経験的な事実の集積から認められているものである。同じウイルスの感染であっても,被感染者がどのような集団に属するのかによって発症率が違うということも,一般的によく見られる現象であり,EBウイルス感染症においては,民族間で発症形態が異なることが本件当時知られており,昭和59年11月29日のAIDS調査検討委員会において栗村医師のLAV抗体検査結果が話題になった際にも,このEBウイルスの例が紹介された上,レトロウイルスにも同じような側面があるという指摘がされていた。また,ビスナ・マエディウイルスやウマ伝染性貧血ウイルスよりもウイルス学的にHIVに近いウイルスであるSIVは,アフリカのサルにおいては全く疾病を発症しないのに,アジアのサルに接種すると疾病を発症する。こうした関係証拠上明らかな事情に照らすと,前記のように単純な推論をすることに十分な合理性があるとは認め難い。 のみならず,本件訴訟においては,栗村医師の執筆にかかる多くの論文等が証拠として取り調べられたが,これらの文献の内容は,以下に述べるとおり,上記の証言内容と相反するといわざるを得ない。 (1) 栗村医師は,昭和60年発行の「Immunohaematology」誌7巻1号に掲載された論文「ATLウイルスとAIDSの相互関係」において,まず,ATLとAIDSの原因がいずれもレトロウイルスであるとして,レトロウイルスの特徴を略述し,ATLVについて,「このウイルスに感染すると,持続性感染が成立するものである。」,「このウイルスの感染を受けたTリンパ球にはATL-associated antigen(ATLA)が出現し,血液中にはanti-ATLA antibody(抗ATLA抗体)が見出されるようになる。したがって,このウイルスの感染を受けて持続性感染が成立しているか否かは,抗ATLA抗体の血中での存在を証明することによりわかる。」と,同ウイルスについては抗体陽性者が持続感染者であることを述べる。続いて,エイズ原因ウイルスに論を進め,LAVとHTLV−Vとの関係について,「直接対比して研究されたことはないが,両者は免疫学的に区別できないこと,OKT4細胞(ヘルパーT細胞)に親和性を持ちcytopathic(細胞傷害性)であることにより,同一ウイルスとみて間違いはあるまい。」とした上,「LAVに対する抗体を保有しているということは何を意味するのだろうか(ATLVと抗ATLA抗体の関係と同一視できるだろうか)。」と問題設定をし,これに対して,「先に述べたAIDS罹患の危険度の高いグループに属する人たちが抗体陽性であるということは,LAVが過去に体内に侵入したことを示す。しかし,その人が現在体内に感染性のLAVを保有している状態なのか,又は感染後免疫を獲得して体内よりウイルスがいなくなった状態なのか不明である。もちろんLAVは抗体が存在した状況下でも分離されているが,そのときの頻度は不明である。抗体が陽性でウイルス分離が可能であった場合でも,その予後は不明である。また,未知のウイルスでLAVと共通抗原性を持つものの存在も考えておく必要があるだろう。」と述べている。 すなわち,栗村医師は,上記論文執筆時において,LAV/HTLV−Vがレトロウイルスであること,及び抗体陽性者からウイルスが分離される例があることを指摘しながら,分離の頻度は不明であるとし,抗体陽性者が現在感染性ウイルスを保有しているかは不明であり(抗体陽性の第1の意味に関連),ウイルスが分離できた抗体陽性者についても予後は不明である(抗体陽性の第2ないし第4の意味に関連)と考えていたことが明らかである。このような栗村医師の見解は,「HIVは,その発見当初から,感染を受けた個体が持続感染した状態になり,体内においてウイルスと抗体が共存するものと想定されていた」という検察官の主張と相反するものであるといわざるを得ない。 (2) 次に,昭和60年発行の日本輸血学会雑誌第31巻第3号の土江秀明博士と共著の論文「獲得性免疫不全症候群(AIDS)ウイルス」がある。この論文の執筆・発表時期につき,栗村医師は昭和60年3月ころに執筆し,同年5月ないし6月ころに発表されたものだと思うと述べているが,検査対象となった血友病患者が259名であり,同年4月3日に開催された日本ウイルス学会シンポジウムにおける発表時の対象者163名より100名近く増加していることに照らすと,この学会発表用のデータをまとめた時期より後に執筆されたものとみることが自然である。 この論文において,栗村医師は,「2〜5年という潜伏期の後にAIDSを発症することは,LAVがLentivirinaeの性質を備えていることを示すものであろう。」,「血友病患者259名中74名が抗LAV陽性,うち7名は抗ATLAをも保有・・・輸入血液製剤投与が原因は間違いあるまい。」とした上,「次に問題になることは抗体陽性ということが個人レベルでどのような意味を持つかということである。」として,抗体陽性の意味について論じている。 ここではまず,「抗体が存在する(上昇する)ということはウイルスという抗原が体内に入ったことを示すもので,必ずしも感染性のウイルスが過去に入ったとか,現在感染性ウイルスが体内に存在していることを示すものではない。」と一般論を述べた後,「少量の不活化ウイルスのために血友病患者が抗LAVをもつようになったと考え難いと思われたので,次に述べる抗LAVの定量を行ってみた。・・・抗体陽性血友病患者72名の大部分はAIDS患者と同じく・・・高い抗体価を示した。この事実は血友病患者の体内でLAVが増殖したものと考えて差し支えあるまい。」とした上,段落を変えて,「抗体陽性であることと体内に感染性ウイルスが存在しているか否かの関係について考察してみる。すなわち抗体陽性者よりどの程度ウイルスが分離できるかということである。」とし,抗体陽性エイズ患者の85%以上からウイルスが分離されているなどの「MMWR」誌昭和60年1月11日号と同旨のウイルス分離データを記載した上,「このことは抗体陽性であることが感染源になりうる可能性の高いことを示している。」とし,「今後は我が国でもこのような事実が存在するかどうかを調べるためにウイルス分離を試みる必要があろう。」と結んでいる。 ここでは,抗体価が高いことによって,LAVが増殖したこと,すなわち,前記の一般論としての可能性のうち,「感染性のウイルスが過去に入った」こと及びそのウイルスが増殖(して感染が成立)したことは推定しているものの,「現在感染性ウイルスが体内に存在しているか」という問題は,抗体陽性者からどの程度ウイルスが分離できるかということであるとし,米国のデータを紹介しつつ,「今後は我が国でもこのような事実が存在するかどうかを調べるためにウイルス分離を試みる必要があろう。」としているのであり,少なくとも我が国の抗体陽性者については結論を留保しているものと解釈せざるを得ない。そして,栗村医師は,その証言中においても,ここで「ウイルス分離を試みる必要がある」とした理由は,これを行わないと,抗体陽性者の中で本当のキャリアの率はどれくらいあるかが当時は分からなかったからであると供述している。 (3) これに対し,栗村医師は,(本件第一投与行為の後であるが,)日本医事新報昭和60年5月25日号掲載の土江秀明博士と共著の論説「輸血に必要なウイルス学」においては,「LAVはレトロウイルス科に属し,一旦生体内に入ると持続性感染が起こることが知られている。したがって抗体陽性となるということは過去に感染し,体内にウイルスを持っているということを示すとみてよい。事実ギャロらは抗体陽性者の80%以上よりウイルスを分離することに成功している。このウイルスの場合は『過去の感染』イコール『現在のウイルス保有』ということになる。血液中の抗体のウイルスに対する中和の力価は非常に低いようである。」,「この第8因子に含まれるウイルスは不活化されてしまっているものが抗原としてのみ働いたものか,または生きたウイルスが体内で増殖した結果抗体上昇が見られたのか問題となる。結論から言うと,『免疫された』というより,『感染を受けた』といって間違いない。」とし,抗体陽性の第1及び第2の意味がいずれも積極に解されること,及び抗体陽性の第3の意味につき,「中和の力価が非常に低い」旨を述べるに至っている。 この論説は,検察官の主張に沿う内容のものとしては,本件訴訟に提出された邦語文献中で最も早い時期のものであり,栗村医師自身が,抗体陽性は感染性ウイルスを保有していると初めて書いたのはこの文献かもしれないと証言している。そして,この論説には,昭和60年4月3日までの米国の小児のエイズ患者数が記載されており,こうした米国のデータを入手した時期以降に執筆されたことが明らかであるが,栗村医師が昭和60年4月15日から17日まで開催されたアトランタ会議に出席していたことに照らすと,同会議に出席した後に執筆されたものである可能性が強いと考えられる。そして,関係証拠によれば,同会議においては,「本症の場合,抗体陽性は即,感染性ウイルス陽性として対処しなくてはならない。」,「本ウイルス感染は長期にわたり,恐らくは生涯続くものと思われる。」などの報告がなされたことが認められる。そうだとすれば,栗村医師は,同会議におけるこのような情報を得たことにより,本論説で記載しているような認識を抱くに至ったか,あるいは,外部に発表できる程度の確信をもってそのような認識を抱くに至ったものと推認することが自然である。 そして,このアトランタ会議出席以降に執筆されたと認められる論文等においては,栗村医師は,「いったん体内に生きたウイルスが入れば,永久的に生体内に止まるものとみて差し支えない。また,血中には抗体も出現して,ウイルスと抗体は共存状態となるのであるが,・・・env遺伝子に頻発する突然変異のため,抗体によるウイルスの中和は起こりにくいようである。」などとして,抗体陽性の第1ないし第3の意味については,検察官の主張におおむね沿う認識を述べるようになっているが,これらはいずれも本件第一投与行為より後に発表されたものである。また,抗体陽性の第4の意味(抗体陽性者からのエイズ発症率)に関しては,栗村医師の論文や発言においてこれに触れたものは,本件当時までに発表されたものにはほとんど見当たらず,本件当時より少し後の時期に発表されたものについて見ると,その内容は,以下のとおり,上記証言の内容と乖離することが甚だしいものばかりである。 (4) 栗村医師は,昭和60年7月20日に放送された山田兼雄医師,塩川優一医師との日本短波放送特別番組の座談会「<明日の治療指針>AIDSをめぐって」において,塩川医師の「ウイルスが体内に入った人はみんな病気になるのでしょうか。」という質問に対し,「アメリカ人の場合,そのウイルスの感染を受けた100万人中1万人がこれまでに発症しておりますから,実際に発症する率は非常に低いと思われます。」と答えている。 (5) 「Medical Immunology」誌昭和61年2月号(11巻2号)に掲載された栗村医師の論文「AIDSウイルス感染−日本の現況−」は,本文中で昭和60年10月22日の「日本で発生したエイズ患者」を引用していることから,そのころ以降に執筆されたことが明らかなものであるが,「今後の患者発生」の項において,「100万人のキャリアのいるアメリカでの患者数が間もなく2万人となることが予想されている状況を併せて考えると,一応の推測はできよう。さらに・・・最近は同性愛者の患者が多くなっている点も考えておく必要があるだろう。単純に考えると現在のままで感染の拡大がなかったとしても,数十人の患者がでてもよいと思われる。」と述べている。 (6) 栗村医師は,昭和61年発行の「実験医学」誌4巻2号所収の論文「AIDSの血清疫学」(本文中で昭和60年10月22日までに確認された日本のAIDS患者は11名であることが記載されており,同日以降に執筆されたものと認められる。)において,米国内の輸血によるエイズ発症者の比率が増加してきたことを紹介した上,「輸血による感染は,血液スクリーニングの開始により,今後は増えることなく患者の増加もあと2〜3年で止まると思われる。」と述べている。つまり,栗村医師は,この論文を執筆した時点において,輸血による感染者は今後は増えないことから,患者の増加が今後2〜3年で止まること,換言すれば,感染者はその時点までに発症しなければいわゆる保因者のままでとどまるという想定をしていたものと考えざるを得ない。 さらに,栗村医師は,「1万5000人を超えるエイズ患者の中でアメリカにおける東洋系の患者の数が62名にすぎないことも注目される。アメリカの全人口の約1.5%が東洋人であるのをみると,東洋人患者が全体の0.4%と非常に低い。これには人種的な差異の存在の可能性のほかに,社会生活習慣の違いも大きな原因の1つになっていると思われる。」と述べている。仮に栗村医師が,その証言で述べるとおり,本件当時において「日本人血友病患者も,当然,その当時報告されていた米国の(男性同性愛者の)HTLV−V感染者と同様の運命をたどっていくと思っていた。」という認識を抱いていたとすれば,このような記述をするということは全く考え難いところである。続けて,栗村医師は,血友病患者中のウイルス感染者を5000人中1500人などと試算し,「約同数の男性同性愛者が感染しているとみても不当ではないだろう」として,ウイルス感染者を3000人程度と想定した上,「外国より過去に輸入された血漿製剤の注射を受けた血友病患者,すでにAIDSウイルスの感染を受けている男性同性愛者の中より数十人ないしはそれを上回る患者の出ることは覚悟せねばなるまい。」と述べているが,この今後の患者予測も,証言で述べていることとはかけ離れたものである。 (7) さらに,栗村医師は,昭和61年発行の「治療学」誌17巻1号所収の論文「AIDS−起源と将来予測される展開−」(本文中に昭和61年のHTLV−W発見の文献が引用されており,同年に執筆されたものと認められる。)において,次のように述べている。 「LAV/HTLV−Vに感染すると・・・2〜8週には抗体陽性となる。このうちの10〜20%は2〜5年の潜伏期の後にAIDS発症ということになる。・・・このような典型的な症状に至らず前駆段階で終わるものをARCと呼び,ウイルス感染を受けたものの20〜30%がこの状態になるといわれる。」 すなわち,昭和61年に入ってからも,栗村医師は,ARCとはエイズの発症には至らずその前駆段階で終わるものであると理解しており,したがって,ここで述べられている10〜20%のエイズ発症者以外の80〜90%の感染者については,観察期間内にエイズを発症しなかったというにとどまらず,「エイズを発症しない感染者」であると理解していたとみるのが自然である。
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