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第6 結果回避可能性及び結果回避義務に関する事実関係 6.1 医療行為の評価に関する基本的な考え方 医薬品は,人体にとって本来異物であり,治療上の効能,効果とともに何らかの有害な副作用の生ずることを避け難いものであるが,治療上の効能,効果と副作用の両者を考慮した上で,その有用性が肯定される場合にはその使用が認められる。したがって,こうした医薬品を処方する医療行為についても,一般的に医薬品の副作用などの危険性が伴うことは当然であるが,その点を考慮してもなお,治療上の効能,効果が優ると認められるときは,適切な医療行為として成り立ち得ると考えられる。このような場合,仮に当該医療行為によって悪しき結果が発生し,かつ,その結果が発生することの予見可能性自体は肯定されるとしても,直ちに刑法上の過失責任が課せられるものではない。医療行為の刑事責任を検討するに当たっては,この種の利益衡量が必要となることは否定し得ないものと考えられるところであり,本件における検察官の主張も,このような利益衡量を当然の前提にしているものと解される。したがって,本件においては,まずもって,外国由来の非加熱製剤を投与することに伴う「治療上の効能,効果」と「エイズの危険性」との比較衡量が問題となる。また,本件公訴事実において,検察官は,「生命に対する切迫した危険がないものについてはHIV感染の危険がないクリオ製剤による治療等で対処することが可能であった」から,そのような出血に対しては外国由来の非加熱製剤を投与すべきではなかったと主張している。したがって,本件においては,「非加熱製剤の投与」と「クリオ製剤による治療等」との比較衡量も問題となる。すなわち,想定される各医療行為の取捨選択の適否に関しても,当該時点における医学的知見に基づいて考えられるそれぞれの治療方針のプラス面とマイナス面を考慮し,各医療行為を比較衡量して判断する必要があるものということができる。そして,こうした医療行為の選択の判断を評価するに当たっては,通常の医師であれば誰もがこう考えるであろうという判断を違えた場合などには,その誤りが法律上も指弾されることになるであろうが,利益衡量が微妙であっていずれの選択も誤りとはいえないというケースが存在すること(医療行為の裁量性)も,また否定できないと考えられる。 6.2 血友病の関節内出血 関節内出血は,直接に生命の危険にかかわる症状ではないものの,患者に激痛とともに関節の腫脹・運動制限をもたらし,さらには出血に起因する滑膜の炎症等の病理的変化を生じ,その結果として再出血も生じやすくなり,関節内出血を繰り返すと関節軟骨が破壊され,ついには肢体不自由者となるという,重大な後遺症をもたらす症状である。検察官は,本件被害者の右手首の関節内出血には,補充療法以外にもその治療方法が存在していたなどと主張するが,それはクリオ製剤すらない時代や補充療法を必要としない血友病患者のエピソード等を根拠とするものであり,実際に痛みを伴う出血を起こして病院を受診した血友病患者に対する本件当時の治療方針選択に当たって考慮されるようなものとは思われない。 したがって,本件当時において,関節内出血を起こして病院を受診した本件被害者に対する医師の現実的な選択肢として,補充療法を行わないという治療方針を考慮すべきであったとは認め難い。 6.3 補充療法の評価 本件当時,血友病A患者の出血に対する治療は,補充療法が当然の方針となっており,その補充療法に用いられる血液製剤は,ほとんどの医療機関において,かつて用いられたクリオ製剤から非加熱第8因子製剤に移行し,さらに,多くの血友病患者の治療を行っている専門性の高い医療機関においては,非加熱第8因子製剤の自己注射療法が導入され,それが推進されつつあるという状況にあった。こうした治療方針の進展は,それ自体が医療技術や医学的知見の進展に伴って生じてきたものであるが,そのような状況において,血液製剤によるエイズ伝播の問題が起こってきたのであり,本件当時の血友病治療医は,この問題を契機として,その治療方針を変更すべきかどうかの判断を迫られることになったものと考えられる。 治療的観点から濃縮製剤をクリオ製剤と比較した場合の長所としては,(1)製剤中の第8因子の力価が高く,治療効果が優れていること,(2)夾雑タンパクの混入が少ないために,クリオ製剤の輸注でしばしば見られた輸注直後の喘息様発作,蕁麻疹,腰痛などのアレルギー反応がほとんど見られなくなったこと,(3)クリオ製剤の輸注でときに見られた生命にかかわる副作用であるアナフィラキシーショックの危険性もほとんどなくなったこと等があった。滑膜炎による関節の機能不全についても,クリオ製剤の時代と濃縮製剤が普及した後の時代とでは明確な差異があり,クリオ製剤による治療では,血友病患者が重篤な後遺症を残さないのは無理で,運動を制限することなども必要となり,十分なQOL(クオリティ・オブ・ライフ)を持った生活をするのには不適当であると考えられていた。 また,濃縮製剤とクリオ製剤とでは,投与のしやすさや,保存・保管・持ち運びの容易さなどの面でも,大きな差があった。 このような副作用の多さと保管・投与等の難しさとから,クリオ製剤の致命的な短所は,自己注射療法に不向きなことであると認識されていた。そして,本件当時,血友病専門医らの同療法に対する評価は,極めて高いものであった。すなわち,早期に止血処置を始めれば,少ない量の補充療法で当該出血の止血を可能にし,出血を起こした関節への悪影響を最小限に押さえて再出血を起こりにくくし,その結果として関節障害の後遺症を防止し,ひいては血友病患者の社会的行動範囲を大幅に広げて,そのQOLを飛躍的に向上させることができるのであり,そして,濃縮製剤による自己注射療法が,血友病患者にこのような福音をもたらすという評価は,当時自己注射療法を進めつつあった血友病専門医に共通のものであった。 これに対し,非加熱製剤をクリオ製剤と比較した場合に,感染の危険性が高いことは,エイズが問題となる以前の時代から指摘されていた欠点であった。すなわち,元来,血友病の補充療法は,ヒト由来の原料を用いた製剤という性質上,感染症の危険は必然的に伴うものであったが,濃縮製剤は多人数から集められたプール血漿から製造されるため,感染の危険性が高まると考えられていた。もっとも,血友病治療医の受け止め方は,ウイルス性肝炎については,クリオ製剤の時代においても,ある程度以上を使うと必発であるが,だからといって,出血に対する補充療法をしないわけにはいかないというものであり,非加熱製剤が開発されてからは,感染症のリスクの程度が高くはなるが,その点を考慮してもなお,止血管理の容易さや後遺症の防止の点で優り,自己注射療法も容易になる非加熱製剤による治療が遙かに優れていると判断してこれに切り替えたものであった。
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