


判決要旨



【事実の骨子】
本件は、ミドリ十字の代表取締役社長であった被告松下廉蔵、同社代表取締役副社長兼研究本部長であった被告須山忠和、同社代表取締役専務兼製造本部長であった被告川野武彦が、加熱クリスマシンHT(以下「加熱製剤」)の販売開始後は、直ちに非加熱クリスマシン(以下「非加熱製剤」)の販売中止、回収の措置を採るべき業務上の注意義務があるのにその義務を怠り、その結果、関西の総合病院に非加熱クリスマシンを販売させ、同病院医師に肝疾患に関する手術を受けた患者一名に対してこれを投与させ、その患者をHIVに感染させてエイズを発症させ、投与から約九年八か月後に死亡させた業務上過失致死の事案である。
【過失の存在について】
一九八六(昭和六十一)年一月十日の加熱製剤の販売開始時点においては、被告らにおいて、非加熱製剤を投与された患者がHIVに感染しエイズを発症する危険性を認識することは可能であった。また、被告らが、常務会等において販売中止等の措置を提案するなどしていれば、社内におけるその地位や職責に照らし、販売中止等が実現する可能性が極めて高く、本件被害発生の防止は可能であった。被告らには業務上の注意義務を怠った過失がある。
【弁護人の主張について】
1 弁護人は、抗血友病製剤の有用性等を考慮すべきであるというが、加熱製剤の供給が可能になった時点においては、HIV感染の危険性のある非加熱製剤の有用性は全面的に否定される。本件被害者は、肝疾患の手術の止血のため非加熱製剤を投与されたが、製薬会社としては、非加熱製剤のHIV感染の危険性が明らかになった時点において、血友病治療以外の目的で使用されることがないよう医療機関に周知徹底を図るべきであった。
2 弁護人は、加熱製剤に在庫不足があったというが、実際には需要を満たすだけの十分な入庫があり、非加熱製剤の販売を継続しなければならないような品不足はなかった。
3 弁護人は、非加熱製剤の危険性を決定付けるものはなかったというが、被告らが非加熱製剤によるHIV感染の危険性を認識することができる程度にはHIVの性質等は明確になっていた。
4 弁護人は、厚生省から回収命令等の措置等がなかったことを考慮すべきであるというが、医薬品については製造販売業者が安全性の確保について第一次的かつ最終的な責任を負うべきものであるところ、ミドリ十字は、物的人的に十分な研究施設を備え、米国子会社から最新情報を入手することができる状況にあり、厚生省からの情報提供をまつまでもなくHIV感染の危険性を覚知し得た。
厚生省係官に過失のある者が存在するとしても、その過失は被告らの過失と競合するものであって、被告らにおいて過失責任を免れないのはもとより、そのことをもって被告らの罪責を大幅に軽減する理由とすることはできない。
【量刑の事情】
本件は、肝疾患があるに過ぎない者であっても不治の病であるエイズにり患することがあるとして、社会全体に深刻な不安と衝撃を与えた事案である。本件被害者は、エイズに感染するような原因については全く心当たりがなく、肝臓の病気とばかり思っていたところ、ある日突然にエイズを宣告され、まさにならくの底に突き落とされたに等しい衝撃を受け、全身の関節の痛みに耐え、やせ衰えながら、妻に支えられて二年余りの壮絶な闘病生活を送った揚げ句、ついに力尽きてこの世を去ったものである。本件被害者の肉体的、精神的苦痛は想像を絶するものであるが、残された妻らにおいても長期にわたり筆舌に尽くすことのできない苦悩を心底味わったものであり、被害感情は極めて厳しい。
ミドリ十字の最高責任者として社内の情報を把握し常務会等において最も強い発言力を有していた被告松下は、差し迫った危険があるのであれば厚生省の指示があるであろうとの安易な考え方で非加熱製剤の販売を継続し、その回収を怠ったものであって、人命を救うべき製薬会社の最高責任者としての職責に対する自覚を著しく欠いた行為というほかない。同被告は、厚生省に長年勤務し、薬務局長時代にはサリドマイド事件の和解交渉に担当局長として関与し、薬害のもたらす悲惨さを身をもって経験し、教訓として学んでいたはずであるのに、危険性を医療機関に公表しないばかりか、非加熱クリスマシンの原料血しょうは国内血しょうであるからエイズの危険性はないというような虚偽宣伝を容認したものであり、同被告の過失は被告三名の中で最も重いと認められる。
被告須山は、常務会等において非加熱クリスマシンの販売中止、回収の措置を提言するとともに、被告松下にその措置を採ることを進言すべき義務があったが、それを行わず、虚偽宣伝をも容認したものであるから、被告松下に次いでその責任は重い。
被告川野は、営業本部の虚偽宣伝のきっかけをつくり、さらに、虚偽宣伝に気付いた後にも適切な対応をとることができないまま、これを容認したものである。しかも、部下に非加熱クリスマシンの原料血しょうが国内血しょうだけであるかのように製造記録を改ざんすることを指示するまでしており、犯行後の情状も芳しくない。同被告の刑責は、被告松下、被告須山に次ぐとはいえ、やはり相当に重い。
「旧ミドリ十字」の情状の争点
| 危機認識の時期 | 危機回避の可能性 | 経営者の責任 | 複合過失 |
検察側 |
感染経路として血液製剤の可能性を示唆した社内文書や社内で開催されたエイズ検討会の内容などから八三年以降は危険性の認識があった |
安全な加熱製剤の在庫は十分で供給は可能。他社の加熱製剤も販売されており、非加熱の販売中止や回収措置を取ることは容易だった |
経営者として過去の薬害の反省を忘れ、患者の生命・健康より営業利益を追求した。虚偽宣伝は常務会で決定しており責任は重い |
被告らには自社製品に対する高度の安全確保義務があり、厚生省の責任の重さが、被告の過失責任を軽減するものではない |
被告側 |
先駆的な情報は非加熱製剤の危険性を決定づけるものはなく、少なくとも八六年一月の加熱製剤発売時までは危険認識はなかった |
血液製剤は血友病患者にとって不可欠で、安定供給は社会的使命。厚生省の指導なしに一企業の判断だけで販売中止や回収は困難だった |
非加熱製剤の継続販売や虚偽宣伝は営業本部が主体で被告らの関与は乏しい。加熱製剤への切り替え途中の不幸な事件だった |
加熱製剤の発売後も厚生省は他社の非加熱販売を容認しており、危険性は深刻ではなかった。投与自体は医師の知見と判断による |
判決 |
八六年一月十日の加熱製剤の販売開始時点で、被告らは非加熱製剤によるHIV感染の危険性を認識することは可能であった |
加熱製剤は十分な入庫があり、非加熱製剤の販売を継続しなければならないような品不足はなく、厚生省の指導なしに回収することもできた |
被告らが、非加熱製剤の販売中止などを提案していれば、社内の地位などに照らし、被害発生を未然に防ぐことが可能だった |
医薬品は製造業者が、安全性の確保について最終的な責任を負う。厚生省に過失があったとしても、過失は競合し、被告らの責任は免れない |
(2月28日)

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