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▼カルテを第三者に漏らす医師「判決には、明らかに、HIV感染者に対する偏見が含まれています」と、保田行雄弁護士は断言する。97年に、中前康友さんが、国立鹿児島大学歯学部在学中に、鹿児島大医学部付属病院の医師が、中前さんの承諾なくカルテを歯学部教授に漏示し、退学を余儀なくされたとして、国に対して、1000万円の損害賠償を訴えでた裁判の判決(99年2月17日・敗訴)のことだ。
中前康友さんは、94年1月にHIVに感染しているとの診断を受け、自分の通う鹿児島大学の付属病院で治療を受けることになるが、その事実を小片歯学部長にも伝え、それでも学業を継続したいという意思表示を明確に行なう。
しかし、大学側は、中前さんに適切な援助をすることはほとんどなく、逆に「歯学部感染対策委員会」を設置して、一般的にHIV感染者が歯学部の学習・実習を経て歯科医になれるかどうかの検討を始める。そして、同年10月には、中前さんが、教科の履修を終えて、歯学部の後半の段階である臨床実習に臨むに当たって、制限が加えられるかもしれないという通知がされる。
中前さんは取得できない単位があり、結果的に臨床実習を受けるのは翌年に持ち越されたのだが、95年5月、TBSの「スペースJ」(「実名公表、エイズ感染者、ある歯学部生の選択」)という番組に出演、自分がゲイでHIV感染者であることをカミングアウトしたうえで、臨床実習が受けられないかもしれないことの不当性を訴えた。
その1週間後、歯学部の伊藤学而教授が、唐突に、当時付属病院検査部長で、中前さんの主治医ではなかった丸山征郎教授に、中前さんの症状を電話で問い合わせる。このあたりから、学校側を含む周囲の対応が、中前さんにとっては、一層きついものになっていく。自主退学を暗に勧められたり、中傷するような風評が流れたりしたのだ。中前さんは次第にノイローゼ状態になっていった。
さらに、中前さんは、自分の承諾を得ず、勝手に自分の症状を、同じ学部とはいえ第3者である伊藤教授に安易に伝えてしまう付属病院が信頼できなくなり、東京の医療機関への転院を決める中、退学するという選択しかできなくなり、東京へ住まいを移す。▼事なかれ主義を正当化した判決
しかし、この過程での鹿児島大学のやり方に承服できない中前さんは、保田弁護士の協力を得て、国に対して損害賠償請求裁判を起こすこととなる。退学との因果関係は歴然としているものの、それを現実的に証明することの困難さから、訴訟は、丸山征郎教授が伊藤教授に無断で中前さんの症状を伝えたことが、(1)診療契約上の守秘義務違反、および(2)カルテの保管義務違反に当たる、つまり、いちばん大切な、HIV感染者のプライバシーが侵害されたことに絞られた。
中前さん側は、まず、厚生省「HIV医療機関感染症予防対策指針」(91年4月)の中の「秘密の保持について」の(2)「患者本人以外の者からの電話等による患者の問い合わせには一切対応しない」に反することを指摘、さらに厚生省から実習へ参加させるべきという指導が来ていたことも明らかにした。
また、伊藤教授からの電話に答えた丸山征郎教授は、中前さんの診察には全く関与しておらず(弟の丸山芳一教授が中前さんの主治医)、カルテも勝手に見たことにもなる。中前さんはこれを重大なプライバシー侵害であるとした。また、この時点で、伊藤教授が急に中前さんの症状を知る必要性が生じたと考えることが極めて困難であることから、伊藤教授の電話の動機は、その1週間前に放映された「スペースJ」によって生じる学部内外の反応に対処するものでしかなかったと推定した。これは、どう見ても、エイズ予防法の例外(患者の承諾なしに開示できる場合)には当たらない。
こうしたことが安易におになわれた背景には、中前さんを支援するというよりは、中前さんの生活に口を出し、HIV感染者の生きる道を閉ざすことになりかねないくらいの「事なかれ」的な学校側の対応があったことも詳しく指摘された。中前さん自身も「自分がゲイだからということで、特別な『指導』がされたとしか思いようがない場面があった」と述べている。
しかし、今年の2月に東京地裁の伊藤剛裁判長および村岡寛・林潤裁判官が下した判決は、「原告の請求を棄却する」というあっけないものだった。その判断もほとんど、鹿児島大学側の言い分をうのみにしたものであった。したがって、判決文を説明することがそのまま大学側の見方を示すという極めて残念な結果になってしまっている。
まず判決は、「治療相談コンサルテーション」という医学界でも聞くことの少ない用語を(大学側の主張から)持ちだし、「当初から、治験薬の投与、検査データの分析、治療方針の決定などについて助言をし、丸山芳一医師と討論するという形で、原告の診療に関わってきたのである」と、強引に、丸山征郎教授もチーム医療に加わっていたと認定する。しかし、これでは、論理的には、主治医が相談した相手にはプライバシーが漏れても構わないという、とんでもなく歯止めがきかないことになるのだが、判決はそんなことお構いなしに、丸山征郎教授の行動を正当化していく。
伊藤教授の問い合わせも、臨床実習をどう実施するかの対策を立てるためで正当なものだとされ、丸山征郎教授が、データが歯学部外に公表される可能性はないものと、歯学部の支援体制の中心と認識していた伊藤教授を信頼したことも相当であったとされた。
中前さん側の言う厚生省の指導に反するという点についても、「相手の素性が確認できない問い合わせの場合を想定しているのであって、信頼できる伊藤教授に伝えることに関しては、全く違法性がない」としている。しかし、この「信頼性」の基準は判決でもすこぶるあいまいである。こんな主観的な判断が判決に入っていいものだろうか。▼旧態依然のエイズ観
保田弁護士は、「最初に結論ありき、という感じがします」と語る。その証拠は、冒頭にも書いた、HIV感染者およびエイズという病気に対する裁判官たちの認識にあるという。それが最もよく現れているのが、判決文にある「臨床実習」に対するとらえかただ。臨床実習は、「実際に患者に接し、抜歯・麻酔等観血的なものを含む」ので、「実習者が手指を傷つけ出血する可能性は皆無ではない」から「感染の可能性」や「原告が実習中に発症する可能性」がある。したがって、(実習を間近に控えていて、歯学部は1年間把握していなかったので)「原告の病状を把握する必要性」があったというのだ。
だが、すでに、医療現場では、医師および患者の双方が感染症である場合を想定した診療体制が確立しつつある。感染症や何らかの疾患を持った医師でも十分安全に診療行為は可能なのである。それに、上の文からは、実習をする中前さんの免疫の状態が感染力に関連があるという暗黙の前提があるように読み取れる。もちろんそんな事実はない。だから、中前さんの病状を確認する必要があるという根拠はないし、「語るに落ちる」というか、「歯学部は1年間症状を把握していなかった」のであるから、このことが逆に症状把握の必然性がないことを示しているではないか。
保田弁護士は、この判決に関して、次のように述べている。「HIV感染者が他の疾患・感染症と違って特別に扱われている(大学の対応も判決でも)ことが最大の問題です。そして、大学側は、中前さんの健康というより、二次感染防止と診療(実習)現場での混乱回避のために、中前さんに過干渉を続けたとしか思いようがない(「スペースJ」放映後、付属病院通院患者などから「不安」と問い合わせがあったことは判決でも認めており、大学側が当惑して過剰反応したのは事実だ)。緊急な事情がないのに、大学だからといって、主治医に問い合わせることは出来ない。医師の裁量権が個人の自己決定やプライバシーより優先されるというのは恐ろしいことです」この事情は、インターセックスの人たちが、医師によって勝手に性別を押しつけられる事情と共通している。
そして、保田さんは、「裁判官たちの中に旧態依然としたエイズ観がある」と指摘する。今回、争点からいっても、中前さんがゲイであることについては原告側はことさらに問題にしていないが、大学側はそれを否定的にほのめかして(特に性的行動に関して中前さんを「諭す」必要があった、などと書くことによって)いる。裁判官の中の、ゲイとHIV感染者に対する偏見が、提訴と同時に、「どちらが悪いか」を決めてしまったのではないだろうか、保田さんはそう推測する。「日本の裁判は、『正義』を争う知的論争にならない。心証や予断で結論が導かれていく。隠微な形で存在する少数者への差別のことなど考えられないんです」と怒りをあらわにする。
中前さんと保田弁護士は、2月25日、東京高裁に控訴した。その準備書面には、以下の控訴理由が挙げられている。
(1)征郎教授は、HIVに関わる診療を完全に芳一医師に引き継いでおり、担当医師としてカルテの内容について説明できる立場にない。チームとして診療にかかわっている事実はなく、診療に関する相談を受けたとしても、それをもって、患者と医者の診療契約が成り立っているわけではない。
(2)原告の臨床実習にあたって、症状に関する資料は必要ない。実際、歯学部および歯学部の感染対策委員会で、伊藤教授が原告の症状を報告したことがない(伊藤証言)。つまり、学校側が、臨床実習の検討のために、さしせまって症状の把握を必要としていたわけではない。
(3)感染症に関して医学的にも判断を誤っている。HIV感染症を特別扱いすること自体が医学上根拠のないものになっている。また、患者の免疫状態と感染力も関連性はない。
保田弁護士によれば、控訴審は、裁判官達に、HIV/エイズに関する正確な認識を持ってもらうことに力点を置くという。▼「エイズ研究第一人者」の人権感覚
それにしても、鹿児島大学の丸山征郎教授は、厚生省の「HIVキャリアの発症予防・治療に関する研究班」班員であり、鹿児島では、エイズ研究の第一人者とされている。その人がこんな行動をとってしまうことに、日本のエイズ研究者の人権感覚の乏しさを見る思いがする。それは、この判決を書いた裁判官たちにも共通した問題点と言えよう。
中前さんは、「究極的には自分が幸福な生活ができなくなったことに対しておこした裁判ですが、これをきっかけに社会や公的機関のHIV感染者・患者や同性愛者に対する意識が変わってくれれば」と語っている。
そして、保田さんは、「まだまだ、エイズとの共生が、人権を保障する形でこの日本社会に根づいていないと言わざるを得ない。特に、性交による感染者に対して、社会が偏見なく医学的対応ができるかが問われ、試されていくことになるだろう。マイノリティを受け入れられる社会に何とかしていきたいんだけれど……」と頼もしい決意を述べてくれた。