薬害エイズの関連年表(名称、肩書は当時)
1982.7 米疾病予防対策センター(CDC)が非加熱製剤を投与された血友病患者のHIV感染を報告
83.3 米CDCが非加熱製剤を投与された血友病患者のHIV感染性を警告
.5 仏パスツール研究所のモンタニエ博士がエイズ患者からウイルスを分離
.6 安部医師が厚生省の「エイズ研究班」の班長に就任
.7 国内で初めて、帝京大病院の血友病患者がHIV感染で死亡(感染死の認定は85年5月)
.10 エイズ研究班の小委員会が、安全なクリオへの転換を指摘
84.3 エイズ研究班が最終報告。クリオの限界を理由に、非加熱製剤の輸入継続を決定
 「重症者以外はクリオを使用すべきで、血友病治療の権威だった阿部医師は方針を転換できたが、メンツや製薬会社への配慮から非加熱製剤の使用を継続した。医師として無責任」(検察側主張)
 「クリオ使用には問題があった。大多数の医師は非加熱製剤を使用しており、投与を中止しなかった阿部医師に結果回避の義務違反はない」(今回の判決の認定)
.5 米国立ガン研究所のギャロ博士がエイズの原因ウイルス分離を発表
.8 血友病患者48人の検体をギャロ博士に送り、感染検査を以来
.9 ギャロ博士報告で、48万人中23人のHIV感染が判明
.11 厚生省エイズ分科会で、栗村敬・鳥取大教授が「血友病患者27人中6人が抗体陽性」と報告
.11 帝京大病院で血友病患者の2人目のHIV感染死

 「研究班会議や海外の学会出席を通じ、この時点までに阿部被告はHIVの高い致死率を予見できた」(検察側主張)
 「当時は世界の研究者でもHIVには不明の点があった。安部医師にはエイズによる死亡という結果発生の予見可能性はあったが、その程度は低かった」(今回の判決の認定)

85.1 栗村教授が厚生省で「血友病患者96人中33人が抗体陽性」と報告
5〜6 帝京大病院の男性患者が血友病治療で非加熱製剤を投与され、HIV感染(阿部医師、松村課長の起訴事実)
.7 厚生省が加熱第8因子製剤を承認
.8 松村課長が非加熱製剤の回収指示を行わない方針を決定
.12 厚生省が加熱第9因子製剤を承認
86.1 ミドリ十字が加熱製剤の販売開始

 「この時点で非加熱製剤の危険性の認識は可能だった」(ミドリ十字歴代三社長への大阪地裁判決=昨年2月)

86.4 大阪の患者が肝臓病治療でミドリ十字出荷の非加熱製剤の投与を受け、HIV感染(松村課長、ミドリ十字の歴代三社長の起訴事実)

読売新聞2001年(平成13年)3月29日(木曜日)13版総合(3)
安部元副学長無罪 15年前の事件 今の視点で再構成と判断 覆された過失の構図
 薬害エイズ事件で、業務上過失致死罪に問われた元帝京大副学長・安部英医師(84)に、東京地裁(永井敏雄裁判長)は28日、無罪を言い渡した。「産・官・医」三者の過失によって起きた構造薬害とする検察側の構図は、裁判所に覆された。血友病治療の最高権威だった阿部医師に、刑事責任を問えなかったのはなぜか。(社会部 吉池 亮)
■予想外の結論
 「大変妥当な判決で、内容も立派なもの」
 閉廷後、会見した阿部弁護団の弘中惇一郎・主任弁護士は、手放しで判決を評価した。だが、「疑問も声も上がっているが」と問われると、「薬害エイズ事件は犯人探しをして済むケースではない」「阿部医師さえ裁かれれば済むという前提からしておかしい」と、検察やマスコミを非難した。
 判決直前まで法曹関係者の間では、阿部医師の有罪を予想する声は強かった。
 「阿部医師の起訴は、いわばストライクゾーンぎりぎりだった」。前田雅英・東京都立大教授(刑法)は、薬害事件史上、初めて医師の刑事責任に切りこんだ検察側の姿勢をこう語る。この日の判決も「法曹関係者の間で評価が分かれるぎりぎりの結論」とみる。
■否定された構図
 有罪と無罪を分けたものは何だったのか。
 HIV(エイズウイルス)の高い死亡率、感染の経路など、事件が起きた約15年前には分からなかったことが、現在は解明されている。判決は、検察側の主張は今の視点をもとに、阿部医師の都合の悪い要素で事件を再構成したものととらえ、これが無罪に傾く大きな要因となった。
 公判では、捜査段階で自らの過失を認めた供述書やクリオ転換の進言を無視したとする元部下たちの証言など、阿部医師にとって不利な証拠が飛び出した。しかし、判決はいずれも「信用性に欠ける」と退けた。
■医師の裁量権
 安部医師が問われたのは、高い確立でHIVに感染、死亡することを予見できたのに、漫然と非加熱製剤を投与し続けた「過失」だ。業務上過失致死罪が成立するには、予見可能性と結果回避可能性を立証しなければならない。
 検察側はエイズ研究班長だった安部医師が他の血友病専門医と異なり、最新の医療情報に接する「特別な地位」にあったとして高度な注意義務を負っていたと強調。感染の危険性を把握した以上、安全なクリオ製剤の使用を提唱すれば被害は回避できたとした。
 しかし、判決は、当時、求められていた注意義務は平均的な血友病専門医を基準に考えるべきで、阿部医師に高度な注意義務はなかったとした。さらに、薬の、薬の効果とHIV感染のリスクとをてんびんにかけた場合、「どちらも間違いにはならないケースもある」と指摘。非加熱製剤を使用し続けたことは「医師の裁量権」の範囲内にあったとした。
■起訴の意味
 阿部医師の起訴は検察の威信をかけたものだった。起訴直後の'96年9月、当時の検察幹部は、「宅外エイズ事件に、検察は手をこまねいて何もしないわけにはいかない。証拠もあり、有罪の自信はある」と意気込みを語っていた。この日の判決に、同幹部は「無罪という判断もあるだろう。だからといって検察が起訴したこと自体は間違っていない」と淡々と語った。
 判決は最後に、検察側の立証は不十分だったとしたものの、公判で審理した膨大な証拠が、「今後の医療のあり方を考える上で意義があった」と結んだ。
 検察側は控訴の検討に入っており、医師の「過失」をめぐる裁判は、控訴審に持ち越されそうだ。
「松村公判」に影響か裁判官は同じ3人
 阿部医師に対する無罪判決が、他の薬害エイズ事件の公判にどんな影響を与えるのか。
 同事件では、当時の厚生省生物製剤課長・松村明仁被告(59)と、製薬会社の旧ミドリ十字歴代三社長が、阿部医師と同じ業務上過失致死罪に問われた。
 このうち、旧ミドリ十字元社長らは初公判から起訴事実を全面的に認め、昨年2月、大阪地裁で禁固2年−1年4月の実刑判決を受けた。元社長らは控訴したが、現在も起訴事実を認めて執行猶予を求めている以上、控訴審判決で無罪が出る可能性は極めて低い。
 影響を受けるのは、阿部医師と同様、1984年11月頃までにHIVの高い危険性を認識したが、医師や製薬会社に非加熱製剤の販売・
 使用の制限を指導しなかったとして「行政の不作為」を過失と問われた松村被告だろう。
 安部医師と同じ、東京地裁刑事十部に係属する松村被告の公判は、この日の判決を書いた永井裁判長以下、3人の裁判官の顔ぶれもまったく同じだ
 判決が、厚生省エイズ研究班長も勤めた阿部医師ですら、HIVの危険性を予見することができなかったと結論付けた以上、厚生省官僚の松村被告が、危険性を予見できなかったことを「過失」ととらえる検察側の主張にも、疑問を投げかけたと言えそうだ。
 さらに、旧ミドリ十字の事件では回収命令を出さなかった点が「過失」に問われたが、これについても行政の不作為に刑事責任がどこまで問えるか微妙だ。
 松村被告の公判はすでに結審しており、判決は9月28日に言い渡される。

読売新聞2001年(平成13年)3月17日(土曜日)13版社会(38)
血液凝固製剤の供給を一時停止
 バイエル薬品(大阪市)は16日、米バイエル社が製造する遺伝子組み換え型血液凝固第[因子製剤「コージネイト」の供給が一時停止されると発表した。バイエル薬品によると、米バークレー工場が昨年11月、FDA(米国食品医薬品局)の査察を受け、品質保障管理の問題点を指摘されたことに加え、工場内の環境モニタリングで異常値が出たため、調査が必要となり、出荷を停止した。

読売新聞2001年(平成13年)3月17日(土曜日)13版社会(38)
正常細胞は攻撃しない 狙い撃ち抗がん剤
乳がん治療薬を医薬品承認

 がんと正常細胞を見分けて、がんだけを攻撃する【モノクローナル抗体」という新型の抗がん剤を、厚生労働省の薬事・食品衛生審議会分科会が16日、医薬品として承認すると決めた。
 がんを正常細胞もろとも攻撃する従来の抗がん剤の難点だった重い副作用を回避できるのが大きな利点で、モノクローナル抗体の抗がん剤は始めて。効果のあいまいだった抗がん剤治療を変える一歩になる。
 承認されたのは日本ロッシュ社の「ハーセプチン」(成分名・トラスツズマブ)という乳がん治療薬。乳がん患者のうち、HER2というがん細胞の増殖に関係する遺伝子の働いている患者にだけ使える。ハーセプチンがHER2の作る病原たんぱく質の特定部分に取り付いて、その働きを封じる。国内ではこのタイプの遺伝子を持つ患者は約二千人と見られている。
 米国では1998年に発売され、乳がんを縮小する効果が確認されたほか、延命効果もあることがわかった。個人輸入で、国内でも使う患者が続出していた。
VRE治療薬も
 薬事・食品衛生審議会分科会は16日、抗生物質が効かなかったバンコマイシン耐性腸球菌(VRE)の治療薬として、初めて「ザイボックス(成分名・リネゾリド)」を輸入承認することを決めた。

読売新聞2001年(平成13年)3月14日(水曜日)12版生活(28)
医療ルネッサンス 通算2563回 病院を変えよう
読者の体験から *2* 痛がる子を押さえつけ
 千葉県佐倉市のJ子さん(32)は、今でも、息子を大学病院の「練習台」にさせられたという苦い思いを忘れることができない。
 長男には、尿道下裂という先天的な陰茎の異常があった。尿道菅が短いため、尿の出口が亀頭の先端ではなく陰茎の下に開いている。
 米国に研究では、300人に一人の頻度。尿道が開いている位置は、人により様々。機能に問題はないのだが、尿が下に向かって出るので、しゃがんで行う。学校ではトイレが問題になり、成人すると、生殖にかかわってくるので、幼児のうちに手術で矯正する。
10か月で手術5回
 J子さんは、長男が4歳になった97年、近所の大学病院で、「別の大学の泌尿器科教授が『治療させてほしい』と言っている」と紹介され、手術を受けた。
 包皮で約直径5_の筒を作って尿道菅とつなぎ、陰茎内に埋め込んだ。
 1週間ほどで退院したが、すぐに詰まって排尿ができなくなった。その後、尿道を作り直したり、尿が漏れる穴をふさぐなど10か月で5回の手術。しかも尿道が狭くなるので、毎週、直径2_ほどの針金状の器具(ブジー)を尿道に差し込む治療が続いていた。
 「こどもは痛がって、暴れるので、大人3人がかりで押さえつけるんです。いつまで続くのかわからないし、かわいそうで」
 偶然、見つけた総合病院の小児外科を受診。そこで「小児泌尿器の専門医に任せたほうがいい」と、兵庫県立こども病院副委員長の谷風三郎さん(56)を紹介された。
 手術は、わずか30分で終わった。谷風さんが診ると何度も入れたブジーで傷つけられたため、尿道内が凸凹になっていた。問題は尿道菅の内部ではなく、出口だった。出口を切って広げる手術を行ったところ、すっかり落ち着いた。
 谷風さんは「尿道下裂は、トレーニングを受けた子供のプロに任せるべきです。最初にきちんと手術すれば、苦痛も最低限にできますから」と言い切る。
肩書きよりも経験
 同病院では、1回の手術で9割は完治するが、6割程度の大学病院もある。手術法の選び方、細い糸でルーペごしにきめ細かく縫うという手技など、尿道下裂手術のトレーニングを受けているかどうかで結果は大きく異なる。
 子供が3、4歳に成長して大きくなってから手術をする施設が多いが、同病院ではつらい記憶が残りにくい生後6ヶ月頃に治療している。
 「教授」という肩書きは必ずしも治療のレベルを保証してはくれない。

受診する科と考えられる病名
めまい以外の症状など 受診する診療科 主な病気
手足の麻痺や激しい頭痛、言葉や視力の障害 神経内科 脳こうそく
小脳出血
一過性脳虚血発作
めまいのみ 神経内科異常なければ

耳鼻科
無症候性脳こうそく、脳の病気のチェック

前庭神経炎
耳鳴りや難聴、耳のつまった感じ、顔の神経のまひ 耳鼻科 突発性難聴
内耳炎
メニエール病
聴神経腫瘍
ストレスや不眠、過労によって(めまいを)繰り返す 耳鼻科異常なければ

神経内科
メニエール病

起立性低血圧
一過性脳虚血発作
特定の動作をすると、繰り返し起きる 耳鼻科 良性発作性頭位性めまい

起立性低血圧
読売新聞2001年(平成13年)3月11日(日曜日)12版健康(35)
めまいしたら何の病気?
劇症なら脳障害の恐れ 頭痛、しびれ伴うと要注意
病名、千差万別
 「前触れなく突然起きるので、わけが分からずパニックになる人が珍しくない」と、慶応大耳鼻咽喉科教授の神崎仁さんは話す。
 そんな時、どうしたら良いか。病院に行くなら、何科にかかれば良いだろう。
 まず横になる。かかりつけ医の往診が頼めるなら、それに越したことはないが、激しいめまいなら「神経内科、または脳外科へ」と、神崎さんは言う。
 めまいを伴う最も重大な病気は、脳梗塞や脳出血などの脳の障害だ。中高年で、もともと血圧が高いといった危険因子を持ている人、激しい頭痛やおう吐、まひやしびれを伴う場合は特に要注意だ。
 別掲の図で、症状の特徴ごとに、受診する科と考えられる代表的な病名を挙げた。
 脳の血液の流れに一時的に異常が出てめまいを起こし、その後正常に戻る場合を「一過性脳虚血発作」と呼ぶ。「前庭神経炎」は、耳の平衡感覚をつかさどる神経の炎症。「良性発作性頭位性めまい」は、後ろを振り返ろうと首を回した時や、急に起き上がった時など、頭の位置が動くのに伴って起きる、ある種のめまいに付けられる病名だ。
 ただ、目がぐるぐる回る、足元がふらつくといっためまいの症状の種類と、原因となる病気は必ずしも一致するわけではない。
 めまいを伴う病気で、よき耳にするのがメニエール病。耳鳴りや難聴を伴う時には、この病気の疑いがある。めまいを繰り返すたびに、難聴の症状も進むことが多い。
 しかし、メニエール病と確実に診断できない場合も少なくないと言う。「受診の時には症状が治まり、検査しても異常が見つからないことが多い」ためだ。
メモしておきたい「めまい」のポイント
@めまいが起きた日時
Aめまいの種類や持続時間
 ぐるぐる回る、歩くとよろける、動くとめまいが起きる など
Bめまい以外の症状
 難聴、耳鳴り(左右どちらか、両方か)、手足のしびれ、頭痛、おう吐、吐き気
C起きる前の最近の出来事や体調
 多忙、超過勤務、出張、会議、不眠、いらいら、風邪、発熱、冠婚葬祭、家族の病気・入院・死亡など
D繰り返し起きた場合の間隔
E過去に経験したか治療中の病気
 高血圧、高コレステロール、糖尿病、結核、中耳炎、頭の怪我、うつ病、神経症
F飲んでいる薬
 降圧剤、精神安定剤、睡眠薬(服用開始時期も)
意外な原因も
 原因を探る手がかりとして、症状を繰り返す人に、神崎さんが勧めるのが、表のような記録をつけることだ。
 なかでも大切なのは、めまいが起きる前の生活上の出来事(表のC)を思い出してメモしておくこと。メニエール病は「ストレス病」と呼ばれるように、発症にはストレスによって増えるホルモンが影響していると考えられている。
 体調の変化や仕事上の出来事はもちろん、妻が仕事を始めたとか子供の受験など家族の問題、転居や近所づきあい、自分では大したことではないと思っていたことでも、意外に大きなストレスになっていることがある。
 大学病院などでは専門の「めまい外来」を設けているところもある。受診の際に、こういったメモを持参して、役立てたい。(田村良彦)

読売新聞2001年(平成13年)3月11日(日曜日)12版生活(32)
誤飲による中毒事故例
▼老人ホームで別の入所者がトイレから持ち出したクレゾールせっけんを原液のまま飲む。
 のどがただれて気管切開手術を受ける(痴呆の88歳)
▼使い捨てカイロの紙袋を破り、中の粉をふりかけと間違え、ご飯にかけて食べ下痢に(痴呆の74歳)
▼娘が机において乾かしていたゴキブリ駆除用のホウ酸だんごを、ホワイトチョコと思い食べた(69歳)
事故予防と対応策の基本
@口に入れて困る物はすぐ片付ける。痴呆のお年寄りがいる家庭ではトイレ洗浄剤などを放置しない。
A菓子箱やジュースの空き瓶などに別の飲み物を入れるのは、食べ物や飲み物と間違えるのでしない。
B冷蔵庫や台所の流しの下などにも、食べ物以外は置かない。
C自宅に来るホームヘルパーや訪問看護婦らとも注意しあう。
D誤飲事故が起きたら病院中毒110番に相談を。
中毒110番
▽大阪=0090-50-2499(24時間・年中無休)
▽つくば=0090-52-9899(毎日午前9時-午後5時。12月31日-1月3日は休み)
※いずれもダイヤルQ2(通話料と1分間100円の情報料がかかる)。
 薬剤師の担当者が急性中毒について情報を提供する。
やさしい介護学 痴呆で気付かず口に
 お年寄りが食べ物と間違えて、お菓子の乾燥剤や漂白剤などを口にする事故が増えております。高齢による味覚の衰えや痴呆症などのために気づかないうちにたくさん食べてしまい、中毒で亡くなるケースも起きています。お年寄りを介護する人は、周囲の危ない物をきちんと片付けるように心がけたいものです。(武中秀夫)
洗剤、漂白剤、乾燥剤・・・誤飲での中毒増加
味覚、視力に衰え 元気な人も要注意
 昨年5月、首都圏のある特別養護老人ホームで、お年寄り達がペットボトルに入った漂白剤の水溶液を誤って飲む事故がおきました。スポーツドリンクと勘違いした介護職員が、冷蔵庫にしまっておいたのが原因でした。
 「苦い」と気づいたのは9人目のお年寄り。漂白剤は薄められていたため大事には至りませんでしたが、「危ない物を置きっ放しにするなど基本を怠った。反省し事故防止に力を入れたい」と施設長。
 電話相談窓口「中毒110番」を開設している財団法人日本中毒情報センター(茨城県つくば市)には、化学製品や医薬品、植物などを「間違って口にしたが、大丈夫ですか」といった問い合わせが寄せられます。乳幼児の事故が大半ですが、最近目立つのがお年寄りのケースです。
 1999年のまとめでは、65歳以上の事故についての問い合わせが1448件。十年間で2.5倍に増えました。菓子やのりなどの乾燥剤、漂白剤、洗剤などのほか、入れ歯洗浄剤や在宅介護でも使われるポータブルトイレ用防臭剤、殺菌消毒剤などの誤飲事故が目立ちます。
 「比較的しっかりしているお年寄りでも間違って口にすることがある」と、つくば中毒110番施設長でつくばメディカルセンター病院救急総合診療部長の大橋教良さんは警鐘を鳴らします。
 お年寄りは味覚や嗅覚が衰えているため、まずくても気づきにくかったり、視力の低下で注意書きが読めなかったりするからです。「変だな」と思いながらもたくさん食べて、重い中毒になりがちです。特に痴呆症だと大量に口にしやすく、死亡するケースも少なくありません。吐いた時にのどに詰まらせ、窒息死する例もあるそうです。
 大橋さんは「身の回りには予想もつかない危険が潜んでいます。介護する人たちは、常に警戒してほしい」と指摘します。家庭での誤飲事故の予防法や事故時の対応をまとめてもらいました(別表)。
 お年寄りの誤飲事故を防ぐための介護関連用品も登場しています。例えば、ユー・ディー・ケー(東京:0120-88-3987)はレクリエーション用にでんぷんを原料に食べても安心な絵の具などを販売。アイ・エム・ジーホスピタルサプライ(東京:03-3812-4221)は薬を間違えず飲めるよう、1回ごとに小分けしてしまえる箱や袋を出しています。

読売新聞2001年(平成13年)3月10日(土曜日)12版A生活(20)
医療ルネッサンス[2561回]がんと生体肝移植-5-術後の不安乗り越え
 「自分のことは病院や医者任せにしない。それが病気に立ち向かう原動力でした」
 肝臓がんの"究極の治療"として弟のBさん(39)から生体肝移植手術を受けた福岡のA子さん(42)はこう語る。
 昨年7月。京都大病院で手術を受けた後、経過は順調だった。肝臓の半分以上を提供した弟も、今は元気に仕事に励む。
 A子さんは、退院直後は発熱や傷口の痛みで、歩くのもつらく、満足に家事ができなかった。だが2週間ごとの血液検査で、肝機能の数値が改善していく。がん再発の目安となる腫瘍マーカーの値も問題なかった。
再発の恐怖
 体は日ごとに健康を取り戻した。その一方で、手術から3ヶ月ほどすると、いいようのない不安や恐怖が頭をもたげてきた。
 またがんが再発したらどうしよう。どうやって防ぐのか。何人かの専門家に相談しても、「明確な予防策はない」と言われる。それが医学の限界とはいえ、不安はさらに大きくなった。
 京大病院・移植病棟看護婦長の一宮茂子さんは「生体肝移植は、患者と臓器提供者だけでなく、家族を巻き込んだかっとうの末、命を巡る決断を迫られる。心身の負担は計り知れない」と話す。
 移植医療は、手術の難しさや多額の費用負担だけでなく、手術後の問題も大きい。移植した臓器への拒絶反応を抑えるため、原則として免疫抑制剤を一生飲まなければならない。
 心の問題も深刻だ。他人の臓器をもらって生きることへの複雑な思い。そのわだかまりから、「移植など受けず、死ぬのが運命だったのでは」と悩む人も少なくないという。
 A子さんが、移植に携わった女性医師に悩みを打ち明けると、こんな答えが返ってきた。「今はこれから何をすべきかを考える時。再発したら、その時に改めて考える。どうしてもだめなら覚悟する」
覚悟できた
 弟や家族の助けの上に、自分の決断で移植を受けたからこそ、今こうして生きている。これからも自分の人生は自分で決めたい。
 「限りある命。納得した人生を送ろう。生かされている役割を考えよう」と思うようになった。
 「毎日を前向きに過ごしたい。それを繰り返していけば、完治の目安と言われる手術後5年がたつかもしれない」
 そんな重いから、闘病体験を書き始めた。看護職向け専門誌に連載の予定で、本にする話もある。それが移植を受けた自分の責任であると考えている。(石塚人生)

読売新聞2001年(平成13年)3月9日(金曜日)12版生活(21)
医療ルネッサンス[2560回]がんと生体肝移植-4-「手術成功」にVサイン
 「手術できることになりそうだよ。おめでとう」
 B型肝炎から肝臓がんになり、生体肝移植を待っていた福岡市のA子さん(42)。昨年7月14日、弟Bさん(39)から、電話がかかってきた。
 Bさんは姉に肝臓がんを提供しようとしたが、心臓に異常が見つかり、手術直前に延期されていたのだ。詳しい検査や、心臓の負担を減らす薬剤投与などで、手術が可能と判断された。
姉弟の話し合い
 手術が延期されたことで、二人は十分話し合う時間を持つことができた。A子さんが"最後の晩餐"にと誘い、フランス料理を食べた。発病後は気持ちが不安定になり、家族にあたったこともある。
 「過去のつらいことは振り返らずに、前向きに生きよう」とBさん。その言葉で、落ち着いて手術に臨む心構えができた。
 移植手術は、7月9日午前8時過ぎ、京都大病院で始まった。まずA子さんの腹部を開き、肝臓以外へがんの転移がないかを確認する。事前に十分な検査をしてはいるが、万一転移があれば、その時点で移植は中止される。
 転移はない。隣の手術室にいるBさんの体にもメスが入った。
 移植を受けた患者の手術後の経過は、提供者からもらう肝臓の重量に大きく左右される。だが、提供できる肝臓の量には限界がある。
 Bさんの肝臓は千五百cと平均的な成人男性より大きかったのが幸いした。摘出したA子さんの肝臓とほぼ同じ八百九十cを提供することができた。手術は深夜に終了した。
 A子さんが目を覚ましたのは翌20日午前。「分かりますか」という医師の問いかけが聞こえた。ぼんやりした意識の中で、「がんの転移はなかったか」が、まず気になる。「手術は成功しましたよ」の言葉に、「移植することができたんだ」と思わずVサイン。集中治療室にスタッフの笑い声が響いた。
 Bさんの状態も、比較的順調だった。肝臓は再生力が強いため、提供者の肝臓は約2ヶ月でほぼ元の重量に戻る。徐々に回復している。
術後襲った激痛
 A子さんは意識がはっきりしてくると、猛烈な痛みに襲われ、息も絶え絶えになった。肝臓に負担をかける強い麻酔薬は使えないため、一日中痛みが治まるときがない。「内臓に直接手を触れられるような感じ」の痛みは十日ほど続いた。食欲もなく水分しか取れなかった。
 幸いにも拒絶反応はなかった。手術の1ヵ月後に退院。体力が戻っておらず、百bも歩けなかったが、車いすで自宅に戻り、ほっとした。だが、治療はこれで終わりではなかった。

読売新聞2001年(平成13年)3月8日(木曜日)12版生活(34)
医療ルネッサンス[2559回]がんと生体肝移植-3-5割の確立に望みかけ
実弟が提供申し出

 肝臓がんが再発し、抗がん剤の治療を続けていた福岡市のA子さん(42)に、昨年5月、1通の手紙が届いた。神奈川県に住む実弟Bさん(39)らだった。
 「この何か月か真剣にみんなで話し合った結果です。『生体肝移植』を俺は望んでいます。決して強制ではありません」
 自分の肝臓の一部を提供するので、移植を受けてほしいとの申し出だった。
 A子さんは初め、何のことか分からなかった。病気と闘うため、がんに関する多くの専門書を熟読したが、移植について書いたものはなかったからだ。
 無理もない。肝臓がんは移植しても再発の恐れが大きいと考えられ、国内では98年12月、京都大病院で行われたのが初めてだった。現在も実施しているのは一部の大学病院だけだ。
 Bさんは福岡で姉を見舞った帰り、ふと「移植できないか」と思いつき、情報を集め始めた。
 Bさんの血液型はA子さんと同じで、移植の条件にあう。夫は血液型が異なり難しい。Bさんは「自分しかできないなら、やるしかない」と、心配する妻や両親を説き伏せた。
 だが、A子さんははじめ、弟の申し出を素直に受け入れることはできなかった。がんは移植で直るのか。何より弟の体にメスを入れることに抵抗があった。失敗するかもしれない。主治医も「肝臓がんでの移植は、あまり聞いたことがない」と消極的だった。
 新たな心配も出てきた。血液検査で、BさんがB型肝炎ウイルスの保有者と分かった。A子さんの肝臓がんもウイスルが原因だ。
 幸いBさんには、ウイルスを無力化する抗体があり、A子さんの肝炎悪化の恐れはほとんどない。手術後に抗ウイルス薬を使い、肝炎の再発を防ぐこともできる。
 知人の肝臓専門医に相談した。「移植は従来の方法よりは期待できるが、決断するのはあなた」。実績のある京大へ向かった。
 京大移植外科教授の田中紘一さんの説明は率直だった。「このままでは、1、2年の命でしょう。移植した場合の5年生存率は50%と考えています」
 A子さんは「このままでは死を待つだけ」とショックを受けると同時に、迷いが吹っ切れた。「5割の確立にかけてみよう」
直前でストップ
 ところが手術前日、麻酔医師からストップがかかった。Bさんは生まれつき心臓内部の壁に穴があいている「心室中隔欠損」。日常生活は問題ないが、手術は心臓に負担が大きい。無常にも、延期が決まった。
 「これも私の運命なのかな」。弟は責められない。A子さんは、がっかりするというより、手術ができないのも仕方ないという気持ちになっていた。

読売新聞2001年(平成13年)3月7日(水曜日)12版生活(26)
医療ルネッサンス[2558回]がんと生体肝移植-2-薬物療法に突然変更
肝臓全体に転移

 福岡市の主婦、A子さん(42)が、肝臓がんで手術を受けてから、わずか9ヵ月後の昨年1月。検査で肝臓に5個の腫瘍が見つかった。がんの再発だった。
 手術後の検査で、がん細胞の増加を示す「腫瘍マーカー」の値が除々に上昇していた。だが、「明らかな病変が見つかるまで様子を見よう」と言われ、積極的な治療は受けなかった。
 今考えると、それは医師から見れば当然のことだったかもしれない。だが、「早く手を打つ方法はなかったのか」と、悔しい思いは晴れない。
 主治医は「もう一度おなかを切り、マイクロ波で腫瘍を1つ1つつぶしていきましょう」と治療方針を説明した。マイクロ波は、電磁波を照射し、がんを凝固する方法だ。
 だが、A子さんには再び開腹手術をすることには抵抗があった。いつまた再発するかもわからない。そのたびに切らなければならないとしたら、私の体はどうなるんだろう・・・。
 手術前日、医師3人から説明を受けた。白板に描かれた肝臓の図には、数え切れないほど小さな丸印がついている。肝臓全体にがんが散らばっていたのだ。
 主治医は「1月より腫瘍の数が増えている。見えない部分にがんがある可能性が大きい。マイクロ波ではなく、抗がん剤治療に切り替えましょう」と言った。
 ぼう然と説明を聞くばかり。一緒にいた家族も声をかけられなかった。
副作用で絶望感
 急きょ手術は中止され、抗がん剤をカテーテル(細い管)で直接肝臓に注入する治療が始まった。
 治療は土日を除く週5日、4時間。吐き気や、だるさ、味が分からないといった副作用に悩まされた。
 腫瘍マーカーの値は徐々に下がり、小さな腫瘍は消えた。だが、全部なくなった訳ではない。抗がん剤投与はもう30回を超えただろうか。数値は一定のところまで来ると下がらなくなった。副作用にも、もう我慢できなかった。
 好きな食べ歩きへの興味もわかない。生への執着さえ薄れて言った。「いつまでこんな治療を続けなければならないのだろう」。展望はなく、気持ちは沈みこんだ。

読売新聞2001年(平成13年)3月6日(火曜日)12版生活(23)
医療ルネッサンス[2557回]がんと生体肝移植-1-5aの腫瘤見つかる
 重症の患者を救う臓器移植。国内で脳死者からの移植は12例に上がったが、肝臓の場合は、ほとんどが生体からの移植だ。肝臓がんのため生体肝移植を受けた女性の闘病を通じて、移植医療のあり方を考えたい。(石塚 人生)
ただの疲れ?
 「最近なんだか疲れ気味で、太ってきちゃった」
 福岡市の主婦A子さん(42)が体の変調に気付いたのは1998年1月。友人にそうもらしたが、その時はただの疲れだと思っていた。
 食事に気をつけても、体重は2ヶ月で6`も増え、手足がむくんできた。50万円近く払ってエステに通った。効果はない。
 翌年2月からは微熱も続いた。だるさに耐えられず、近所の内科医院を受診。血液、尿検査の結果を見た医師から呼び出された。
 GOTなど肝機能の数値が正常範囲の2、3倍は高い。「腎機能が低下し、たんぱくを大量に含む尿が出ていて、肝炎も起こしている。すぐ入院しないと、大変なことになる」と医師は告げた。
 「どのぐらい入院しなければならないのか」。今後のことや夫と3人の娘が気がかりで、帰宅途中、涙が止まらなかった。
 まもなく地元の病院に入院、肝臓の超音波検査を受けた。医師は、「肝臓に腫瘤が見つかりました。詳しく検査しましょう」と説明した。
 「腫瘤って何ですか!写真を見せてください」。叫びながら、血の気が引き、目の前がかすんでいく。
 腫瘤は5aにもなっていた。「おそらくがんですが、肝硬変は起こしていない。手術すれば大丈夫ですよ」と主治医は言った。
 A子さんは、21歳の就職時の検査で、B型肝炎ウィルスに感染していることがわかっていた。出生時に母親から血液感染したと見られるが、自分の出産では、子供たちに感染しなかった。「たちの悪い病気とは思っていなかった」と言う。
多い急激は悪化
 結婚後は特に検査をしたこともなかった。ただ、B型肝炎は急激に悪化することが多く、たとえ定期検査をしていても避けられなかったかもしれない。
 「とにかく病気や手術について学ぼう。悪いところは切れば助かる」と自分に言い聞かせた。専門書を手に入れ、読み始めた。
 手術は4月9日。4時間ほどで終わった。回復は順調で、2日目には歩く訓練を始めた。検査の結果、腫瘤はやはりがんだった。主治医から「3年間、再発がなければ大丈夫」と言われた。
 だが、恐れていたことは3年どころか9ヶ月で起きた。肝臓に再び影が見つかったのだ。

読売新聞2001年(平成13年)3月5日(月曜日)13版社会(38)
乳がん X線写真と視触診組み合わせで 40代でも発見率上昇
 マンモグラフィという乳房専用のエックス線撮影と従来の視触診を組み合わせた乳がん検診を導入すれば、すでに検診の対象となっている50代以上だけでなく40代でも効果がある、との報告を厚生労働省の「50歳未満の適正な乳がん検診のあり方に関する研究班」(班長=遠藤登喜子・国立名古屋病院放射線科医長)がまとめた。
 40代は一般に、乳腺の密度が高く、乳がんは見つかりにくいというのが通説だった。
 報告は、宮城県でこの方式の検診を試行した結果に基づく。東北大学などが中心に5年間実施したところ、従来の視触診では50、60代の約9万7千人のうち84人の乳がんを発見。マンモグラフィという乳房専用のエックス線撮影と視触診を組み合わせた方法では、約1万7千人で36人の患者を見つけた。
 これを40代に実施すると、視触診単独では約3万9千人から55人、エックス線撮影と視触診の組み合わせでは、約1万5千人で30人のがんを発見した。エックス線撮影併用の発見率は40代、50代ともに0.2%でそん色はなかった。

高血圧チェックリスト

男性 -1
女性で閉経した -1



両親のどちらか、または両方が脳卒中、心筋梗塞、狭心症 -3
両親のどちらか、または両方が高血圧 -1
糖尿病と診断されたが、きちんと治療していない -2
高脂血症と診断されたが、きちんと治療していない -2



食事中、はしを休めることなく早食いだ。 -1
標準体重の  +10〜20%未満
+20%以上
-1
-3
ラーメン、そばのつゆを常に飲み干してしまう -1
昨日食べた食事の塩分量 10超〜15グラム
15グラム超
-1
-2
毎日、ビールを大瓶1本以上飲む -1








喫煙 毎日 1〜10本
11〜20本
21本以上
-1
-2
-3
運動を定期的にしていない -3
車、エレベーター、エスカレーターをつい使ってしまう -1
ストレスを強く感じる -1
怒りをおさえるくせがある -3
夫婦仲が悪い -1
家に血圧計がない -2


-1〜-9
-10〜-19
-20〜-31
[合 計]
高血圧の分類
分類

最大血圧
[mmHg]

最小血圧
[mmHg]

重症高血圧 180以上 110以上
中等症高血圧 160〜180 100〜110
軽症高血圧 140〜160 90〜100
収縮期高血圧 最小は正常だが、
最大のみ高い場合
正常高値血圧 130〜140 85〜90
正常血圧 120〜130 80〜85
理想的な血圧 120以下 80以下
読売新聞2001年平成(13年)3月4日(日曜日)12版健康(34)より
あなたに忍び寄る"無言の殺し屋"
高血圧生活改善で防ごう
運動、禁煙、血圧チェック・・・
 「君は怒りっぽいね。血圧が高いんじゃないか」。この程度のたわいない話ですまないのが本当の高血圧だ。別名・サイレントキラー(無言の殺人者)。足音も泣く、じわじわと脳卒中や心筋梗塞を引き起こそうと狙っている。そうなっては一大事。「高血圧チェックリスト」を作った杏林大保険センター所長の柳沢厚生さん(49)のアドバイスに基づいて、自分の生活習慣を振り返ってみよう。(坂上 博)
ガンより怖い
 15歳以上の男性5人に1人、女性の7人に1人は高血圧と言われる。死亡原因のトップはがんだが、第2位の脳卒中と第3位の心臓病は高血圧が関係。両者を合わせると、がんを追い抜いてしまう。
 高血圧の原因となるのは食塩の多い食事、高脂血症、糖尿病、肥満、運動不足、喫煙、ストレス、加齢などだ。加齢を除くと、日常生活を改善すれば、ある程度防げるものばかり。
血圧計が武器
 そこで大きな武器となるのが家庭用血圧計。手首式と上腕式の2種類がある。手首式は携帯でき、手軽に計測できて良いが、心臓の近くで測れる上腕式の方が、より信頼できる。いずれも値段は1万〜2万円ほどだ。
 計測の際の注意点として
@運動直後でなく安静時、一定の時間帯に毎日測る。
Aできれば一日のうち数度計測、血圧の推移を把握する。
B3回測り、2回目と3回目の平均値を目安とする。
ことを勧める。なお別表が世界保健機関の高血圧分類だ。
 もし「高血圧チェックリスト」で、危険度大だった人は要注意。「病院へ直行!」とは言わないが、今すぐ、減点項目を減らす努力を始めよう。

読売新聞 2001年(平成13年)3月2日(金曜日) 生活12版(29)より
投薬ミスはピピッと防ぐ
 投薬ミスを防ぐため、食品メーカーの工場でミス防止用に開発したシステムを医療現場に応用する試みが、横浜市の横浜総合病院で始まっている。バーコードによって、患者に投与される薬が間違っていいないか確認する仕組みで、看護婦、患者の双方から安心感が得られると好評だ。
横浜の病院が確認システム
 横浜総合病院が導入しているのは、食品メーカーの「キューピー」(東京)が開発した「看護支援システム」。
 患者が入院すると、まず名前を認識するバーコードのついたリストバンドを着けてもらう。医師は患者への注射や点滴の処方をコンピューターで入力、指示に従って薬剤部で調剤し、点滴ボトルや注射器に患者の名前を示すバーコードを張る。
バーコードで患者識別 食品メーカーのノウハウ応用
 看護婦は投薬に際に、携帯電話のような読み取り機器で、それぞれのバーコードを読み取り、患者と投薬する薬があっているかをチェックする。看護婦の名札にもバーコードをつけ、どの看護婦がどこの患者にいつ実施したか、記録も残る。もしも患者と薬があっていない場合には、バーコードの確認機械から異常音が出て、誰が何を間違えたのかも記録される。
 このシステムはもともとキューピーがドレッシングを作る自社の工場用に93年に開発した。工場では1日に約700種類の原料を計量し、約三千に小分けするのをすべて手作業で行っているため、計量や投入ミスが発生し、製品を無駄にすることが起きていた。このロスを解消し、作業員の「間違ってはいけない」という心理的負担を解消しようと、原料の計量や投入の際にバーコードによる確認作業ができるようにした。
 このシステムを医療現場に応用することになったのは、2年前に、同社の管理職が別の病院に入院したのがきっかけだった。管理職が、入院中、点滴を受ける予定のボトルに書かれた名前が自分とは違っていたという"ニアミス"を経験。自社でのミスと原理は同じと気付いた。
看護婦がミスを起こしやすいのは、注射や点滴を行うときが多い。厚生省(当時)の研究班が昨年度、300床以上ある大学病院の看護婦の「ヒヤリ、ハッと」した経験を調査したところ、注射事例が約3500と全体の約3割を閉めた。
 同病院の看護部でも、注射薬を間違えるなどの人為的ミスが起こっており、看護部長の桃田寿津代さんは、「投薬ミス防止のためと、看護婦の精神的重荷をなくしたい」と昨年7月に比較的投薬の少ない整形外科病棟(52床)で「看護支援システム」を試験的に導入した。その結果、バーコードチェックの際に薬が間違っていることが判り、ミスを未然に防ぐことができたという。
 婦長の土田美恵子さんは、「特に夜間の暗い病室での点滴の交換などには心強い。機器のフォローがあることで安心感が得られるようになった」と評価する。患者からも「安心だね」と声をかけられるという。
 今年1月には最も投薬の多い脳神経外科病棟(52床)にも導入した。また、看護業務の省力化のため、検温や食事の記録なども同じシステム内で入力できるように改良を進めている。

更新:2001/03/30