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ニュース特集
薬害エイズ事件
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「責任の押し付け」戒め/実刑判決(解説)



 薬害エイズは、「産・官・医」の過失が複合した結果、多数の被害者を生んだと言われる。二十四日言い渡されたミドリ十字歴代三社長への実刑判決は、危険認識の時期などを巡って検察、被告側がぶつかり合う元厚生省生物製剤課長・松村明仁被告(58)の審理の行方にも影響を与えるとみられる。

 今回の判決は、非加熱製剤がエイズウイルス(HIV)に汚染されているとの危険を認識することは、加熱製剤が販売された一九八六年一月時点で可能だったとした。

 歴代三社長は公判で「厚生省はエイズについて先行して知見を入手し評価し得た」と供述し、「厚生省の指示なく製剤の回収や販売中止は困難」と主張した。

 これに対し、判決は「厚生省の情報を待つまでもなくミドリ十字側が危険性を認識できた」「安全確保の最終的責任は製薬会社にある」と厳しく指摘、実刑を選択した。

 しかし、このことで厚生省側の責任が軽減されることにはならない。今回の判決は、同省の責任に直接触れていないが、厚生省の係官に過失があったとすれば、それはミドリ十字側の過失と「競合する」と説明している。一方の責任が重いからと言って、もう一方の責任が軽減されるわけではない、過失を犯したそれぞれが独自に責任を負うべきだ、という趣旨だ。三つの法廷で争われている薬害エイズの公判では、被告同士が相手の責任を強調しあう構図も生んだ。判決は、それを戒めているようにも思える。

 松村被告は、歴代三社長が有罪を認定された患者と、帝京大ルートの血友病患者の双方で刑事責任を問われた。一般に、情報が集中するはずの厚生省担当課長も危険は認識できたと考えるのが自然だろう。判決は、松村被告にとってはその意味で厳しい内容になったと言える。

【薬害エイズ事件関連年表】(太字はミドリ十字関連)
1977年9月非加熱血液製剤の販売開始
81年6月米国立防疫センターが初のエイズ症例報告
82年7月米国で非加熱製剤による血友病患者へのエイズ感染の可能性を報告
12月ミドリ十字米国子会社の元役員が米国のエイズ情報を報告
83年5月須山忠和被告が感染経路に血液製剤の可能性を示唆する報告書を作成
6月厚生省が「エイズ研究班」を発足。班長は安部英被告
7月日本の血友病患者で初めてエイズによる死亡(認定は85年5月)

ミドリ十字が業務連絡文書で、非加熱製剤による感染の可能性示唆

84年3月エイズ研究班が「非加熱製剤の輸入継続」を決定
9月国内の血友病患者の血液48検体中23体のエイズ感染が判明
85年3月ミドリ十字が「エイズ検討会」開催
5月厚生省が3人の血友病患者をエイズ認定
6月ミドリ十字が非加熱製剤は安全な国内原料のみとPRするよう、社員に虚偽宣伝を指示
12月厚生省が加熱製剤(第9因子)を承認
86年1月ミドリ十字が加熱製剤の販売開始。非加熱製剤を継続出荷
4月関西の総合病院で、肝臓病の男性患者が非加熱製剤3本を投与される
89年5月大阪HIV(エイズウイルス)訴訟第1次提訴
95年12月男性患者がエイズで死亡
96年1月厚生省が「薬害エイズ調査班」設置
3月男性患者の遺族が松下廉蔵被告を殺人容疑で告訴

大阪、東京両HIV訴訟がそれぞれ和解

8月大阪地検がミドリ十字を業務上過失致死容疑で強制捜査

東京地検が安部被告を同容疑で逮捕

9月大阪地検が松下被告ら歴代3社長を同容疑で逮捕
10月東京地検が松村明仁被告を同容疑で逮捕
97年3月大阪地裁で、松下被告らの初公判。起訴事実を認める
98年4月ミドリ十字が吉富製薬と合併

(2月24日)






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